運命に翻弄されたIPv6

IPv6の利用が広がれば,あらゆる人や街が有機的にネットワークにつながる。このような世界を実現することにかけては,日本企業が一番だ。IPv6への取り組みで先行すれば,インターネットで独り勝ちしている米国を追い抜くこともできる」。

2000年12月18〜19日に大阪国際会議場で開催されたイベント「Global IPv6 Summit in Japan」で,ソニーの出井伸之会長兼CEO(最高経営責任者)は次世代プロトコル「IPv6」の可能性について語った。

ビジネス利用が進む「IPv6」- ITレポート(動向/解説): ITpro

これは2001年の日経コンピュータの記事だ。

私はまさにこの「Global IPv6 Summit in Japan」に参加していた。出井さんがこのような技術者の会議に現れたことにまず驚き、そこでソニーの全製品をIPv6対応にすると宣言されたときに再度驚いた。

出井さんの発言が当時もっとも注目されていたが、出井さんだけでなく、多くの人が「IPv6で日本が最先端のIT国家になる」と信じていた。多くの企業がこぞってIPv6への投資を行った。

以前書いた「 IPv6への投資を無駄にしないために」で現在の日本におけるIPv6展開の問題点を解説したが、私はそもそもIPv6に対しての取り組みに無理があったのではないかと考える。今から見ると、この無理な取り組みは、歴史に、そしてさまざまな時々の状況に翻弄された結果であることがわかる。

キラーアプリケーションをさがす日々

当初、日本のIPv6はインフラが先行した。もちろん全体から見ればごく一部であるし、一般ユーザーが利用できるものではなかった。だが、実証実験の形で、もしくは企業ユーザー*1向けとしてのIPv6の商用接続サービスが、それこそ世界に先駆けてスタートしていた。

インフラは用意できそうだということになり、次はソフトウェア側に目が行く。OSが、そしてアプリケーションがIPv6に対応する必要がある。次の記事はその様子を解説するものだ。2002年の記事だ。

キラー・コンテンツが待望されているIPv6

<中略>

IPv6の普及にあたっては,IPv6網の整備が先か,IPv6で使えるコンテンツ/アプリケーション/サービスの整備が先かという,いわゆる“にわとりと卵問題”が議論されてきた。IPv6網がないからIPv6コンテンツ作成に踏み切れない。あるいは,IPv6コンテンツがないからIPv6網を作れないというジレンマがあったのである。

2001年には一部のインターネット接続事業者(ISP)が相次いでIPv6サービスを始めた。とはいえ,インターネット全体から見れば,普及にはほど遠い状況である。それもそのはずで,今までは,「IPアドレス個数の制限が事実上ない」というIPv6のメリットを訴求できるアプリケーションがなかったのである。

ファイナルファンタジーでIPv6ネットを作っちゃえ!- 記者の眼 : ITpro

にわとりと卵。どっちがどっちだかわからないが、ソフトウェアとしてのOSベンダーやアプリケーションベンダーへの期待も大きかった。

たとえば、マイクロソフトは当初、Windows 2000用にMSR (Microsoft Research) の提供する実験用のIPv6スタックしか無かった。これだと公式サポートが提供されない。やっと次のOSであるWindows XPIPv6が標準機能として提供されるようになり、OSは用意できた*2。OSの次はアプリケーションということで、IPv6アプリケーションコンテストが開催された。

IPv6アプリケーションコンテスト自身は面白い試みであったが、キラーアプリケーションはついに現れなかった。ただのインターネットの下位層のプロトコルを活かすようなアプリケーションはそうあるものではない。また、あったとしても、にわとりと卵問題と言う通り、すべてのユーザーが利用できるかどうかわからない技術やインフラに依存することは避けられた*3

P2Pに期待するも

実際には、IPv6のグローバルにユニークとなるアドレスを利用したアプリケーションはあった。P2P(Peer-to-peer)アプリケーションがそれだ。一時はP2P Conferenceなどをはじめとして多くのカンファレンスも開催され、さまざまなアプローチが議論されるほど、将来性のある技術として期待されていた。だが、ファイル交換という当時の典型的なユースケースばかりが取り上げられるようになり、ネガティブなイメージがつきまとうようになる。

最終的に引導を渡したのがWinny事件だ。Winnyの技術的な先進性などは当時から指摘されていたが、P2Pに関わる技術開発や研究を行うと、Winnyをはじめとするファイル交換アプリケーションの悪用やそれを利用したウィルスに常に言及されるという風潮になった。

日本以外でも状況は同じだった。

マイクロソフトWindows Peer-to-peer APIを提供し、Windows上でのP2Pアプリケーションの開発を促進しようとした。しかし、残念ながら、このAPIを使ったアプリケーションは多くは現れなかった。Teredoと呼ばれるトンネル技術を使って、NAT配下にあるWindowsでもIPv6通信を実現できるようにしたにもかかわらず。ちなみに、この技術を使った3°(スリーディグリーズ)はIPv6アプリケーションコンテストで村井賞をとっている。

実際には、海外のP2Pは当時は必ずしも表舞台で大成功はしなかったが、その後さまざまな形で現在の技術を支えるものとなっている。十分海外勢に対抗できるような下地があっただけに、日本においてはWinny事件の影響が本当に残念である。

昨年の3月11日の震災時を思い出しても、キャリア側の基地局がダウンしたり、通信を制限したことにより、被災地ではネットが使い物にならなかった。だが、IPv6のリンクローカルアドレスをうまく使いメッシュネットワークを作るようなアプリケーションはできないのだろうか。実際、2005年のIPv6アプリケーションコンテスト アイデア部門の最優秀賞はそのものずばり「IPv6 Enable on Tsunami Early Warning System」である。

審査員の声として次のように言われている。

審査員の声 :

  • グローバルInfoを情報化する観点が良い。
  • 新規にIPv6を用いて構築するシステムとして津波監視システムはよい着眼。学術的価値も見出せると期待。
  • 具体的なセンサ応用であり、ノード数、ネットワーク化の上でのIPv6の必然性も高い。
  • 他にも同様なことを考えた人は多いだろうが、分かりやすいコンセプト。アドホックネットワーキングを生かしている。

http://www.v6pc.jp/apc/jp/awards.html

このアイデアに代表されるように、IPv6を使った実用性の高いサービスも考えうる状況であったにもかかわらず、実用に結びつくようなものが少なかったのは非常に残念である*4

母さん、僕のあのインターネット家電はどうしたでしょうね? ほら冷蔵庫や電子レンジがIPv6をしゃべるやつですよ

P2P系以外に当時の日本のIPv6で盛り上がっていたのが、インターネット家電がある。現在でもWeb上に当時の記事や論文が残っているので興味ある人は検索してみて欲しいが、家電各社が通信・放送機構(TAO)*5などからの研究委託を受けるなどして情報家電の研究開発を行った。

 郵政省の外郭団体である通信・放送機構(TAO)が2001年度,次世代インターネット・プロトコル「IPv6」(internet protocol version 6)の研究・開発の支援に乗り出すことが明らかになった。ターゲットは情報家電のIPv6化。TAOが政府から出資を受け,それをもとに民間企業・研究機関などのIPv6家電の開発に助成する。人件費5000人月,サーバー60〜70台,端末120台を想定し,予算規模は80億5000万円。

 助成の対象は情報家電の開発のほか,“白物”家電の開発や,これらの機器を実際にネットワークに接続する実証実験も対象とする。すでに郵政省の肝いりで設立された業界団体「IPv6普及・高度化推進協議会」が大規模な家電のIPv6化の実験を開始することが内定している。

家電向けIPv6実用化実験,政府主導で2001年度に開始 - ニュース : ITPro

これは一部であるが、この研究だけで80億円。今だと事業仕分けの場でねちねちと追求されそうなプロジェクトに見えなくもない。冷蔵庫や電子レンジがIPv6通信を行い、ドラえもんがいた未来のようなキッチンを実現する。実験だけでなく、実際に売りだされたものもあった。

現在、家電でインターネット通信を行うものとしては、テレビがある。聞くところによると、カタログなどでは明記していないが、IPv4/IPv6のデュアルスタックで動作するものも多いらしい。この実証実験の成果などが活きていることを信じたい。

Webアプリケーションの普及

話が少しずれたが、P2Pがキラーアプリケーションにならない中、さらにIPv6を推す側から見ると想定外のことが起きる。それはWebアプリケーションの台頭だ。

IPv6のキラーアプリケーションとして考えられるものは、クライアント/サーバー形式のアプリケーションではなく、エンド端末(ピア)同士が直接通信するものだ。Webのモデルはそれには完全に反する。今でこそ、Webにおいてもピア通信の考え方が出てきているが、当時は基本的にピュアなクライアント/サーバーモデルだった。また、Webは基本HTTPという、言ってみればファイルの通信を行うだけの単純なプロトコルで支えられており、IPv6により提供できると考えられる付加価値はあまり必要ない*6

IPv6のアプリケーションを考える際は、このようなWebのモデルは過渡期のものであり、リッチなクライアントによりインターネットのアプリケーションはもっと発展すると考えられた。だが、予想は見事に裏切られる。

AJAXにより、ブラウザの中で見事に対話性を実現するアプリケーションが可能となったのだ。GoogleマップGmailなど、またたく間に市民権を得ていく。

気づくと、ユーザーがインターネットにアクセスする場合、使うアプリケーションはブラウザのみと言っても過言でない状況になった。

この時点でユーザーからすると、IPv6を利用しなければいけない理由はほとんど無くなった。

これが2000年当初から今にいたるIPv6の歩みだ。かなり私見が入っていることは認めるが、そんなに外れていないのではないか。

私は誰が悪いとかここで言うつもりはない。2000年前半にさまざまなIPv6関連の活動に関わったものとして、言うならば私も戦犯だ。それよりも、以前のブログ記事と言うことは同じであるが、今までのさまざまな投資を是非無駄にしないで欲しい。先頭走っているつもりが、気づいたら最後尾なんて悲しすぎる。戦友たちが泣いている。

手段と目的の混同

冒頭のソニーの話を例にとり考えてみると、思うに手段と目的を混同したことが問題だったのではないだろうか。IPv6を使うことが目的ではなく、情報家電としての考えうる世界があったのだろう。その実現手段としてIPv6があるべきであった。だが、当時は命題としてのアドレス枯渇問題があり、そこにさまざまな企業や団体、人々の思惑が重なった。アドレス枯渇問題解決だけでなく、そこに産業復興などほかの色気が出てきた。その結果がこれである。

いや、これは言い過ぎかもしれない。次の記事を見て欲しい。

放送も含めたオール・ネット化を確信したソニー,IPv6が日本を救う? - 記者の眼 : ITPro

コンテンツからサービス、そしてハードウェアまでをすべてIPインフラをベースにして統合する。ソニーならできたかもしれない。確かにすべての事業を持っていた。だが、これはソニーならばAppleの台頭を阻止できたかもしれないというのと同じくらいの仮説に過ぎないし、それが現実ではなかったことをすでに知っている。

結局、10年かかってわかったことは、IPv6はアドレス枯渇問題を解決するために必要なものであり、それ以上でもそれ以下でもないということだ。IPv6により拓かれる未来などはなく、IPv6はそれがないと未来が来ない可能性があるための税金のような技術だったのだ。

私の10年前のプレゼンなどもネットのどっかに転がっていると思うが、「IPv6により切り拓かれる未来」と言っているはずだ*7。戻れるものなら戻って、小一時間問い詰めたい。あぁ、タイムマシンにお願い。

実は、さらに皮肉な状況がある。IPv6ならではの機能を用いたサービスは結局来なかったと言ったが、現在のフォールバック問題を産んでしまっている、NTT東西地域会社の閉域網内のサービスこそがいわゆるIPv6を用いたサービスなのである*8。問題を産んでしまっている環境にのみ、10年前の我々が夢見た世界が広がっている。なんとも皮肉なものだ。

*1:主に研究機関だったのではないかと記憶する。

*2:実際には機能など足りず、不具合などもあるものであったため、正式にサポートできたと言えるのは、Windows Vistaからであると言うほうが正確である。

*3:ユーザーの利用しているOSがIPv6対応になっていることが必ずしも期待できるわけではなく、インターネットへの接続でIPv6が利用できることも期待できないという意味。

*4:センサーネットワークの現状などは不勉強にして知らないので、実際IPv6が使われているようでしたら教えて欲しい。

*5:現在の情報通信研究機構NICT

*6:実際にはAJAXアプリケーションは複数のセッションを張るため、キャリアレベルでNATを用意されてしまった場合には多くの不具合が生じる。

*7:このブログの中で検索するだけでも、結構恥ずかしい過去記事が見つかる。http://d.hatena.ne.jp/takoratta/archive?word=ipv6

*8:マルチキャストをベースにしている。