クライアントアプリケーションから見るネットの中立性議論

ネットの中立議論は、主にGoogleやAmazon、日本で言えばGyaoなどのアクセスを大量に集め、帯域幅を大量に消費するサービス提供者に対して行われているが、実はこれは通常のアプリケーションを利用する一般利用者にも無縁な話ではない。

もちろん、GoogleやAmazonといった人気サービスへのアクセスに制限がかかると、一般利用者にも影響はあるが、私が指摘したいのはそのような側面ではない。

Winnyトラフィックを遮断するネットワーク事業者が一時現れたのは記憶に新しいが、Winnyトラフィック遮断が少なからず利用者の理解を得られたのは、それがセキュリティの問題を孕み、著作権侵害の可能性があったためである。これがもしセキュリティ的にも問題がなく、著作権の問題なども無かった場合、それでも事業者はトラフィックに制限を加えられたであろうか。

実は、私にとって、今回のWinnyトラフィック遮断は他人事ではない。

「デスクトップマッシュアップ」などと勝手に命名しているが、私のPCには多くのネットワークアプリケーションが常駐している。Google Desktop SearchWindows Live FolderShareSkypeSharpReaderRSS Reader)。ついこの間までは、Yahoo! Gadgetまでインストールされていた。これらのアプリケーションは多くのネットワークトラフィックを発生させる。情報システム部のネットワークトラフィックを監視しているエンジニアから、「ワームに感染したときと似たパターンのトラフィックが発生している」との理由で一時中身を調べられたほどだ。

これらのアプリケーションによるトラフィックがネットワーク事業者から目をつけられないとは限らない。今は1つ1つのパケット量が小さいためその可能性はほとんどないが、今後出てくるアプリケーションがもし帯域幅を占有するほどの大容量のデータをやり取りするものであったり、ある特定のサーバー(たとえば、DNSSMTPなど)に高負荷がかかるほどの大量のパケットを高い頻度で送りつけるようなことがあった場合、それはどこまで許容されるのであろうか。

Winnyのように、アプリケーションが社会的に問題がある場合は、その利用に制限を加えたとしても、支持される可能性はある。だが、ネットワークに負荷はかかるが、それに見合う以上の利点を利用者に提供できる場合、ネットワーク事業者側はその利用を制限することができるだろうか。

私は一貫として、将来的にはP2Pの時代がやってくると主張している。ネットワークトラフィックの何割を占めるようになるかまで具体的な予測をしたことはないが、皮肉にもWinnyが証明してしまったように、魅力的なアプリケーションであれば、それはあっという間に普及する。社会的にも問題のないP2Pベースのアプリケーションが普及したとしても、ネットの中立は保たれるであろうか。

インターネットのDNAはこのような問題に対応し続けてきたものだと私は信じている。