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テレビについて考える

Chasm Seminar

テレビを見なくなって久しい。それによって、会社や家族との共通の話題がなくなったことは否定しないが、さほど困っていない。好きだったいくつかの番組が見れなくなったのだけが残念だ。

というような人間にテレビを語る資格があるかどうか疑問なのだが、ネットと家電のキャズムを超えろ!会議 Vol.2に参加してきたので、そこで考えたことを書いてみたい。ちなみに、いつもこの種の話題の度に書かなきゃいけないのがほとほと情けなくなる(じゃあ書かなきゃいいんだけど、念のため)が、ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はない。

いみじくも会議の中で、ドワンゴの岡村さんが言っていた。確か、ニコニコ時報の話のときに出たと記憶しているが、今のインターネットの動画コミュニティというのはラジオに近いものがある。少なくとも、私の世代の人間にとってのラジオは極めてパーソナルなデバイスだった。勉強しながら(もしくは勉強するふりをしながら)、親に隠れて深夜ラジオを聴いていたり、投書を読むパーソナリティの向こうの見たこともない同世代のリスナーとの間で目に見えない共感を抱いたり。ニコニコでのコミュニケーションは、このラジオによって実現されていたものと近いように思える。パーソナリティによる味付けがないが、リアルタイム体験を「仮想」化してしまったのはインターネットによる成果であろう。

対して、テレビというデバイスはパーソナルにはなっていないし、この後もなりえないものではないか。一人暮らしの人間の場合は違うかもしれないので、話を同居人がいる場合に限らせてもらうが、テレビはリビングで複数の人間で見るもしくは見られても良いことを前提としているデバイスだ。インターネット対応テレビというものが数年に1回の割合で疫病のように流行ることがあるが、ノンPCなどと言いながらも、結局はインターネットへのアクセスデバイスとしての役割をPCから奪おうしているだけの機能しか持っておらず、結局のところ成功していない。さすがに、今はほとんど無いと思うが、誰が家族が見るかもしれない場所で、個人宛のメールを開封したいと思うだろうか。そんなことが出来るならば、携帯宛のメールをこまめに消すようなことはしなくて良いはずだ ;-)。

つまり、普通に考えた場合は、ニコニコが醸成したようなパーソナルな体験を提供する動画コミュニティとテレビというデバイスの親和性は高くない(と少なくとも私は思う)。

ならば、この組み合わせはまったくの無茶かというとそうではない。

さすがにここまで多くのコンテンツが集まったニコニコやYouTubeというのはすべてがすべてパーソナルな体験を提供するものではない。考えてみると、テレビでも素人のビデオ投稿番組というのは今も昔も人気の番組の1つだ。また、YouTubeなどでもネコのかわいいしぐさの動画が人気なことからも、家族で見るという楽しみ方がまったくないわけではない。いや、実は結構メジャーなのかもしれない。

普通にニコニコなりYouTubeにアクセスした場合、当然そこに集まる人の多くは1人でPCからアクセスしている人が大多数になるので、おすすめされる動画はパーソナル志向のものとなる。だが、テレビからアクセスするというユーザーを特定でき、そのユーザーグループへのレコメンデーションを提示できたらどうなるだろうか。User Agentから可能かもしれないし、何かユニークなIDをURLパラメータとして埋め込んでも良いかもしれない。それらのユーザーに対して協調フィルタリングか何かを用いれば、テレビからアクセスして複数人で楽しみたい動画がレコメンドされるのではないか。さらに、このような視聴方法が一般的になれば、テレビをターゲットとした動画がニコニコやYouTubeにもっと投稿されるようになるかもしれない。

などということをぼんやりと考えた。

リモコンでコメントは入れないから拍手(喝采)ボタンが欲しいというのがあったが、それと同じように、いわゆる10フィートUIでのコミュニティへの参加の仕方というのはサービス側もハードウェア側も考える必要があるとは思う。ただ、また矛盾するようなことを言ってしまうが、地上波デジタルでのデータ通信、特に双方向性の通信がそれほど使われていないことを考えると、テレビはあくまでも受身なデバイスとしてすでに認識されてしまっており、その思い込みを変える(パーセプションチェンジ)は少し難しいかもしれない。

以上、テレビを見ない人間からの無責任なコメント。