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ソーシャルゲームの社会的意義

ネット社会

先日、NHK朝のニュースでソーシャルゲームが取り上げられていた。ニュースではソーシャルゲームの制作の裏側としてユーザーの操作ログを解析し、それを元にシナリオを変更することなどが紹介されていた。

ソーシャルゲーム運営会社としては、多くのユーザーに長い時間ゲームをしてもらうことがビジネスの成長に繋がる。広告収入とともに収入の柱となっているアイテム課金もログ解析などを通じてユーザー心理を読むことで多くのアイテムの販売に繋げられる。

このようなユーザーの行動を分析する手法は業界では広く知られていることであるが、ニュースを見終わった後、どうにも気持ち悪かったので、ついTwitterでつぶやいてしまった。

#nhk の朝のニュースでソーシャルゲームが取り上げられていたけれど、アイテム課金やゲームの機能を利用者の状況にあわせて変更していくことが、どうしてもパチンコの出玉調整や闇組織が人をシャブ漬けにしてしまう構図と同じに見えてしまって、社会的な意義が見いだせない。

https://twitter.com/#!/takoratta/status/146004421271228416

多くの人にRetweetされたのは皆同じような気持ち悪さを感じていたからだろうか。このTweetの後にもいくつか発言をしているが、それらをTogetterにまとめておいた。

ソーシャルゲームの社会的意義 - Togetter

この時は自分の気持ち悪さを吐露し、ソーシャルゲームだけでなく、すべてのソーシャルなサービスがユーザー心理を利用してユーザーのロイヤリティを高めていることを指摘することで終わった。

その後、もう少しソーシャルゲームについての社会的意義を考えてみた。この問題については多くの人がコメントしている。良く見られるのが、ソーシャルゲーム運営会社が経済活動を通じて社会に貢献しているというものである。アンダーグラウンドに蠢くブラックな企業と異なり、上場しているような運営会社ならば株主に対する責任も生じるし、資本主義の原理原則に則って社会に貢献している。これについては異論は無い。

ソーシャルゲームの場合は、仮にも上場しているそれなりの企業がやっているわけだから、あれで儲かった金は、ちゃんと税金として国に納められるんだよ。
それに、金が闇に消えずにちゃんと回る。金が回れば景気も良くなる。
それがパチンコよりもずっと良い理由

ソーシャルゲームがパチンコよりも優れている理由

今回は運営会社の側ではなく、人に注目した。人が消費できる資源という観点から整理した。

人が消費出来る資源

ソーシャルゲームに限らず、ネット一般に対するイメージとしては「時間(暇)つぶし」というものがあるだろう。悪く言うと「時間を浪費するもの」。これは実は的を射たイメージである。

人間に与えられた資源というのはいくつかあるが、そのうちの1つで誰にも平等に与えられた、しかも限られた資源が時間である。貧富や学歴の差も関係なく、時間は誰にも等しく与えられている。

人はこの限られた時間を1つ1つの行動に対して配分して使っている。逆に言うと、サービス提供者はこの限られた資源を奪い合っているのである。

他に人が持つ資源としては経済的な資源がある。簡単に言うとお金である。すべての消費行動はこのお金を奪い合う。

ネットサービスと時間という資源

ネットサービスの多くは既存のサービスをネットで置き換えるものである。置き換える以上の新しい価値を与えるものもあるし、まったく新しい体験を提供するものもあるが、多くは既存の非ネットで実現されていたものを置き換えると考えられる。

たとえば、ネットショッピングを考えてみよう。これはリアルの世界でのショッピングをオンラインで実現するものである。時間という有限な資源の中で、リアルの世界でのショッピングの時間を置き換える形でネットショッピングに人は時間を費やす。場合によっては、店舗に行くまでの時間を節約出来たり、希望する商品を容易に見つけ出すことが出来るようになったりして、費やす時間を短縮出来ることもある。また、経済的な資源であるお金も節約できる可能性がある。

ネットショッピングのサービス内容やそのユーザーの嗜好によっては、ネットショッピングでより新しい体験をしたりすることもある。多くの商品を閲覧し比較することや以前同じものを購入した人の評判を購買時の参考にすることもできる。このように考えると、利用者はショッピング時間の短縮などの利便性や新しい体験という利益を享受するのと引き換えにショッピングサイト運営会社が利益を対価として受け取ることを許可していると考えることができる。運営会社も利用者の行動を分析し、より多くのものを購入させるべく工夫を凝らす。行き過ぎたそれは社会的に問題になることもあるが、それはネットに限らない。強引なセールスは時としてニュースを賑わす。

ソーシャルゲームが与えるもの

同じようにソーシャルゲームが時間という資源に与える影響を考えてみよう。

人は娯楽にある一定時間を割くと考えられる*1。この娯楽に割かれる時間をネット(ソーシャル)とネット以外での娯楽が奪い合うこととなる。ネット上で展開される娯楽サービスはリアルでの娯楽を置き換えるか、それと組み合わされることで利用を増やす。この範囲を超えない限り、すなわちソーシャルゲームにより人が今までよりも娯楽に対して割く時間を増やさない限りは、ソーシャルゲームそのものは今までの娯楽を置き換えるだけである。時間という資源に対してのインパクトは無い。

もし、ソーシャルゲーム運営会社が利用者の行動を分析することでゲームの中毒性を増し、その結果、人が娯楽に割く時間を増加させたとするならば、有限な資源である時間をほかから奪うことになる。パチンコに朝から夜まで入り浸り、まっとうな社会生活を営めなくなるのと同じである。

つまり、ソーシャルゲームは娯楽という人が必要としているものを提供しているのであり、それは充分社会に対して意義があるものである。しかし、もし時間という資源をほかの活動から奪うようであるならば、その対価を人に与えなければいけない。単に娯楽としての快楽などだけではなく、時間を奪ったほか活動で得られていたのと同じ価値が提供できるようでないといけないのではないか。突き詰めると、ソーシャルゲームの社会的意義とはこういうことなのではないだろうか。

同じことは経済的な資源に対しても言える。今まで娯楽に費やしていたのと同じ金額がネットと非ネットを合わせたトータルの娯楽費として使われるのならば問題ない。

娯楽として使われていた時間を超えて人を拘束するならば、もしくは費用が従来の娯楽費を超えるならば、時間と費用に見合った新たな価値を提供する必要がある。これが社会的な意義である。それはその人の成長に結びつくものであっても良いだろうし、娯楽の域を超えた体験を与えるものであっても良い。従来の娯楽では味わえなかったほどの快楽を与えるものであっても良い。その対価として得られるものの価値を判断するのは人であり、社会である。

ネットサービスの目的

このことはソーシャルゲームだけでなく、すべてのネットサービスに対して言える。

英単語の意味を調べるのに、紙の辞書ではなくオンラインの辞書/翻訳サービスを利用する場合、時間も短縮できるだろうし、おそらくコストもかからない。一方で、紙の辞書ほどの情報量は無いかもしれないし、紙では可能であった「辞書を読む」という体験*2はオンラインでは得意ではない。このトレードオフでネットサービスが意義があるものかどうかを利用者、そして社会が判断する*3

社会での判断は曖昧なものであり状況や時期により変わる。だが、ネットサービスを提供する側がこのような判断がされることを念頭に置き、誰にどのように喜んでもらいたいかを考えることが重要だ。多くのサービスは利便性を与えるもののため自明であることが多い。娯楽を追求するもの、ユーザーのロイヤリティを高める、特に利用時間を長くすることを目的とするものの場合は、改めて考えてみると良い。本当にこれはユーザーの時間と費用を有効に使っているのかと。

*1:私は遊ばないという人がいるかもしれないが、そのような人はここでは無視する

*2:調べた単語の隣にあった単語を読み知識が広がるような体験やそれこそ最初から読んでいくような操作

*3:ここでの辞書サービスについてはあくまでも例であり、このようなステレオタイプのサービスと利用者ばかりでないことはすでに知られている