日経新聞「ネットと文明 第8部 仮想 vs. 現実」のまとめ

今日も主に自分用の備忘録。

昨日まとめた日経新聞元旦の第二部よりも実は興味をひかれたのが、昨年末に連載されていた「ネットと文明」の第8部「仮想 vs. 現実」だ。12/26(火)から12/30(土)までの連載。

以下、目に付いた内容をまとめる。

(12/26) もう一つの人生 − 終わりなき新世界ゲーム

連載の第1回目はセカンドライフの紹介。

米リンデン社(カリフォルニア州)が運営するセカンドライフは自分の分身キャラクターを操り「第二の人生」を送るゲーム。他人との交流や買い物のほか、企業して稼ぐこともできる。

セカンドライフについて、いくつかのエピソードが紹介される(ネットに詳しい人には知られている内容が多い)。

  • 億万長者宣言したユーザー
  1. 2008年から新ホテルブランドを展開する米スターウッド・ホテルズ・アンド・リゾーツは仮想空間に同じ仕様のホテルを先行して開設。デザインなどへの反響を現実のホテルに生かす。
  • IBMはセカンドライフ内の「IBM島」で_も_記者会見を開く。
  • サン・マイクロシステムズはセカンドライフ内の「サン島」_だけ_で記者会見を開く。
  • 日本人が多い「桃源郷島」はアルバイトの募集が目立つ。翻訳なら10分で約30円。
  • 「これはゲームではなく、メールに匹敵する新次元のコミュニケーション手段」(セカンドライフ研究所を持つデジタルハリウッド大学院大学教授の三淵啓自氏)

ヒトの分身が語り合えば濃密な会話になり、企業も低コストで消費者の本音を拾えるなど有力な販促として使える。

一方、記事では仮想世界の負の面についても警鐘を鳴らす。中傷や詐欺、そして「ネット中毒」。

ただ、残念なことに(紙面の関係か)具体的な負の面については触れられていない。セカンドライフは米国ではすでに十分市民権を得るに至っているのだから、実際に負のケースを紹介してもらえたほうが、日本語版が今年(2007年)にも登場するといわれている日本人にはより身近にこのサービスの明と暗を感じることができただろう。

(12/27) 押し寄せる団塊 − 世代融合か過剰発信か

第2回目は団塊世代とネットとのかかわりについて。

団塊の世代がネット社会に本格的に飛び込んでくる。

 凸版印刷が五十代男性に実施した六月の調査では「既にブログを持っている人」が11.6%、「興味はあるがまだつかっていない人」も25.5%いた。同社は「団塊世代は退職後にブログを始める人が大勢現れ、ブログ市場は急拡大する」とみる。彼らは自分の思いを伝えたいがために大量発信する「冗舌ブロガー」になる可能性がある。

  • 「ヴァーチャルうたごえ喫茶 のび」: 利用者は歌の伴奏となる音楽データを無料で楽しめる。ロシア民謡や労働歌など900曲以上が公開。1997年の開設以来、70万以上の累計閲覧数。

団塊の世代を記事では次のように評す。

大群ゆえに実社会に変化を引き起こしてきた人口集団。仮想社会でも「塊のパワー」を発揮しそうだが、ネット文化をけん引する若者と上手に溶け合い、豊富な経験や知恵を伝えていけるのか。

具体的な懸念事項として、ネット上のマナー違反を挙げる。例として紹介されているのは、オンライン将棋の対極時のマナーだ。勝負の大勢が決まると一方的に接続を切ってしまうことやコミュニケーションが乱暴な若者が紹介される。

記事は次のように書く。

 世代間の対話を深めながら仮想が現実と折り合えば、ネット社会の発展を後押しする。逆に大群が仮想空間で浮いた存在になれば、ブログなどの大量発信は制御が利かなくなる恐れもある。

ネットが世代間の溝を埋める可能性があるのは事実だが、「制御が利かなくなる」とはなんだろう。

 若々しく高速でフラットなネット文化は、いぶし銀の渋みを得て進化できるか。キャスチングボートは、押し寄せる団塊が握る。

記事は上のように_きれいに_まとめているが、キャスチングボートは団塊世代よりも、むしろ先住民である既存のネットユーザーではないだろうか。

(12/28) 広がる「写交性」− 真の姿かさ上げの罠

キャラクター弁当、通称、キャラ弁のブログの紹介から記事は始まる。デジタル写真により紹介されるキャラ弁により不特定多数とのコミュニケーションが可能になった事実を紹介し、それを「写交性」と呼ぶ。

世代が違うのでまったく知らなかったが、合コンの前に参加者の顔写真を事前にメールで交換するのは今では当たり前らしい。自分のときには、デジカメも携帯もなかった。さらに驚かせられるのは、そのメールを修正するのも珍しくないらしい。

「最近は実物とは全然違うことも少なくない」

  • 「おかおネット」(オムロンエンタテインメント): 月額300円弱で写真を自由に修正できる。

ブログの文字で表現する自分も「こうありたい」という願望が入る。ならば画像にも手を加えることが「ネットでのリアルな自分」(平戸京子氏)という。

ブログでの文字表現にいくら願望が入っても、完全な別人格としてブログを運営するのではない限り、それはあくまでも表現のバリエーションに過ぎない。画像に大幅に手を加えることは、ブログを代筆してもらうことにもつながりかねない。

記事も次のようにまとめる。

 写真の日常化は豊かなコミュニケーションを生む一方、「何が真実なのか」という重い問いも投げかける。実物をかさ上げしながら仮想空間を行きかう情報には、現実そのものを変えてしまいかねない罠が潜む。

ネット上の虚像の重さに耐えかねるようなことが起きなければ良いが。

(12/29) 疾走「調査ロボ」− 効率過ぎて市場を翻弄

ネット通販のアマゾンジャパンのサイトには任天堂の新ゲーム機「Wii」を求めて「仮想行列」ができているという。

 行列の正体は「調査ロボット(ソフト)」。欲しい商品を登録すれば25秒ごとにチェックし、入荷があれば自動的に購入する仕組みだ。マウント・ニュースと名乗るこのソフトの開発者は「Wiiでは数千人が利用したようだ」とみる。
 Wiiが入荷すると、ロボットは2分もたたないうちに買い尽くす。実店舗で買う人はこのスピードにかなわない。

同じようなロボットとして以下のようなものが記事では紹介される。

  • カカクコムで最安値を競う家電通販の「ECカレント」 : 「随時調査した市場価格に基づき、販売価格を自動修正する」ソフトを利用する。
  • 株取引ロボット : デイトレーダー(徳山秀樹氏)が自ら開発したソフト。設定されたルールに基づき、入院中も株売買を続ける。
  • マネックス証券の「株ロボ」 : 5億円を運用する株自動売買ソフト

また、実社会に波紋を投げかける調査ロボにも記事は触れる。「電脳せどり(競取り)」と呼ばれる、アマゾンなどのネット書店の古本市場の時価より低い本を新古書店で買い、競売で利ざやを稼ぐ行為の紹介。素人でも月10万以上稼げると記事は紹介する。それは「価格調査ソフト」のおかげ。競売サイトの価格が容易にわかると言う。

記事は次のように効率化を追求するネット社会に警鐘を鳴らす。

 効率と生産性を追うのがネット社会。調査ロボも効率化の手段だが、大活躍するため副作用もある。現実社会の市場や売買は仮想空間の「見えざる手」に翻弄され始めた。

少しセンセーショナルな論調だとは思うが、自動化ソフトの危険性は指摘通りだろう。ソフトに不具合はつき物であり、その上にたつ社会は脆弱になりかねない。基盤システムとして利用されるようなロボット(自動化ソフト)であれば、それなりに綿密な設計と十分な検証が行われているだろうが、多くの過去のシステム障害を思い出すにつけ、不安は払拭できない。また、人間不在の取引は人間不在の社会を招きかねない。昔聞いた「ロボットによる人間社会の支配」のような不安を、漠然とかもしれないが、感じる人は多いはずだ。

(12/30) 合併しない町−ツマ、とげぬき…自立連合

一時衰退しかけた町がネットにより活性化した例で記事は始まる−徳島県上勝町。この町では、「ツマもの」の生産販売で成功した。

平均年齢が約70歳の生産者は使いやすい専用パソコンで市況や出荷動向を毎日確認する。いくらでどれくらいの量を売れるのか、誰が買うのか、仲間内での出荷額の順位もわかる。

上勝町は「日本で最も美しい村連合」というネット連合をほか九町村と組んだという。

ほかにも次のような似たような地域活性化の例を挙げる。

  • 「おかげまいりの街づくりネット」(東京都巣鴨通り、島根県松江天神町、香川県善通寺市赤門筋という全国の門前商店街) : 情報交換の場
  • 合併した市町はSNSで住民交流 : 「おここなごーか」は「大・長岡市」の地域SNS。

記事は次のようにまとめる。

 遠く離れた町は旗を掲げて仮想連合をつくり、大合併した市はネットで住民交流を深める。企業のM&A(合併・買収)が注目された今年、仮想空間は現実の「町村価値」向上に役立った。仮想と現実の融合はもう止まらない。

地域活性化というと言葉だけが独り歩きしそうだが、確かにネットはいろいろな方法で地域を活性化するだろう。ここでは市町村合併を例に、合併するケース、しないケース、それぞれでネットへの取り組みが紹介されているが、たとえば、姉妹都市のような関係でも、都市間の交流をもっと深めるために、ネットは活用されうるだろう(もうされているのかもしれないが)。

地域SNSなど、自分とは無縁であったため、どのように利用されうるのかイメージがわかなかったが、確かに、リアルな世界との結びつきをより深める形でも、またそれに依存しない形ででも、ネットは利用可能だ。

感想

この「ネットと文明」シリーズ、以前から注目している。業界の人間である私でも知らないことに触れられている。ちょっとセンセーショナルな論調であったり、評論で終わってしまっているところがあったり、ステレオタイプの結論に落ち着いてしまっていたりと、突っ込みたくなるところはあるが、それでも興味を持って読むことができる。書籍化されたら、是非購入したいと思わせる内容だ。