ネットと文明 弟9部 善意と実利 3 - 溶け出す権力

日経新聞の連載だが、昨日(2/19)は中央集権だった権力構造がネットにより破壊される状況を解説している。

ブルートゥース・キング。

アラブ首長国連邦(UAE)のショッピングモールで女性との出会いに携帯電話のブルートゥースを用いる男性だ。

十メートル以内なら番号も知らない相手とデータ通信ができるブルートゥース機能だ。常にオンにしておけば、すれ違うだけで“出会い”が起きる。

イスラム圏では、公衆の面前で未婚の男女は親しく会話しにくい。話しかけずに、自作の愛の詩を添えて連絡先を送信するのが現代流だ。ネットの開放空間が、中東に新しい恋愛作法を生み出した。

ネットは厳しいイスラムの規律にも影響を与えているらしい。記事によると、Windows 95以来、その影響が顕著だとのこと。過激な一部イスラム教徒によるテロ活動や中国の共産党支配にもネットによる影響が現れていることを記事は説く。ネットの上の仮想空間での電子取引も中央集権の政府の目が届かない領域。記事は次のように締める。

 管理や規範に背を向けて拡大し続けるネット空間。善意の「解放圏」は多くの犯罪も生む。溶け出す権力の行方は、国家や文化にも変容を迫る。

確かに、ネット空間の魅力的な「解放圏」により生み出される新たな文化や市場もある。ただし、これも同じく日経新聞の記事にあったと思うのだが、多くの人が犯罪の不安を感じる場所としてネットを挙げているというのも事実だ。国家権力などを監視し、その活動に警告を与える役目をネットにより分散&協調した人々により行われるのは望ましいことであるが、一方でそこで新たな既存権力の目の届かない犯罪や一般市民生活を破壊するような活動が起きることは避けるべきだ。まだ、これには解は無いと思う。

最近読んだ「ウェブ人間論」では、ネットの持つ独自の倫理観のようなものが述べられているが、あきらかに新しい空間を悪意を持って利用しようとする勢力に対して、そのようなネットの倫理観は通用するのだろうか。梅田氏は極めてオプティミスティックだったが。

ところで、昨日までのところ、前回の第8部に比べると、ちょっと内容が薄いようだ。あまり新しい発見もないし、気づかなかったような解釈もない。今日からの内容に期待したい。

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