アイデンティティシフトを生きる — Google I/O 2026 二日目に思ったこと

Google I/Oが終わった。

昨日、「Disruptする側、される側」と題して、Google I/O 2026 初日のモヤモヤを書いた。「明日、I/Oの2日目がある。…私はそれを見届けてから、もう一度考えたい」と結んだ。今日はその続きだ。

それにしても、今日も暑かった。昔のように、サンフランシスコ市内のMoscone Centerでの屋内開催にまた戻らないだろうか。

ちなみに、昨日のブログは思いもよらぬ反響があった。賛同もあれば、厳しい否定もあった。正直、多少は傷ついた*1。が、誰かの考えるきっかけになったのなら、それで十分だ。私自身も、初日の感想を二日目に上書きすることになった。なんだかんだ言って、私は変化を楽しんでいるのだろう。

「100パーセントのアイデンティティシフトだ」

二日目で最も響いたのは、「A fireside chat on the evolution of the developer craft(日本語にするならば、「開発者のクラフトの進化についての炉辺談話」とでもなろうか)」というセッションだ。GoogleのDeveloper / AIチームのリーダーたちが、コード生成の裏にある問いを語り合う。登壇者の1人が Addy Osmaniだ。

Addy Osmaniは、日本でも知っている人が多いだろう。彼はもともとWeb開発、とりわけChrome周りでの発信で広く知られていた。私がChromeチームにいた頃にも、少しだけ関わりがあった。そのAddyが、今やエージェンティックコーディングの世界のオピニオンリーダーだ。役立つSkillsなども精力的に出してくれていて、私も日々参考にしている。

そのAddyが、こう言った。「今起きていることは100パーセントのアイデンティティのシフトであり、メンタルモデルのシフトである。コードの道筋に対するコントロールを、手放さなければならないからだ」。彼はさらに踏み込んだ。20年もソフトウェアを書いてきた人間にとって、これは気持ちのいいものじゃない。きつい。私たちはこのきつさを、まだ十分に語れていないとも言った。

聴きながら、何度も頷いた。初日の私の感想は抽象的であったが、それをAddyは、明快に言い切ってくれた。彼は、個人の感傷ではない。業界全体で構造的に起きている話だとも言っていたように思う。

「アイデンティティクライシス」

これは私が昨年講演で使った言葉だ。シフトできれば良いが、シフトできなく、さまよう人にとっては、それはクライシス以外の何物でもないだろう。

プログラマーからエンジニアへ、そしてプロダクトマネージャーへ

Addyの話は「きつい」で終わらなかった。彼はきつさを認めたうえで、私たちがどこへ向かうかへと話を進めた。

これはむしろ、私たちを「プログラマー」から「エンジニア」へと押し上げる、ある種の強制力になる。彼はそう話した。同じfireside chatに登壇していたCiera Jaspan(Software Engineer)も、近いことを言っていた。「Programmers → Engineers」というのが、彼女が前向きに使った表現だ。シニアの定義も、もはや「他人が書けないコードを書ける」ことではない。「コンテキストを理解している」ことだ。

昨日の私は「使いこなす職人」という言葉を使った。今日、その職人は、構文を握る職人から、コンテキストを掴み、トレードオフを判断し、システム全体の構造に責任を持つ「エンジニア」へと押し上げられようとしている。

Cieraが紹介した自分のチームでの実話が、それを裏付けた。ある一週間、彼女のクロスファンクショナルなチームが、全員でAIの使い方を探った。週末に集まってみると、おかしなことが起きていた。ソフトウェアエンジニアたちはコードを書かずにドキュメントを書いていて、UXリサーチャーたちは逆にコードを書いていた。彼女はこれを「みんなが他人の仕事をジュニアレベルでやり、自分の仕事をシニアレベルでやっていた」と表現した。

これは未来予想ではもはやない。いま現にGoogleのチームの中で起きていることだった。境界はゆるやかになる。職能の名前は残るかもしれないが、中身は混ざる。

ベストプラクティスがない時代

ただ、ここで引っかかる点がある。コンテキストを掴み、トレードオフを判断する。この新しいエンジニア像を満たすには、何かしらの拠り所が必要なはずだ。ところがいま、その拠り所が急速に消えつつある。

同じfireside chatでホストを務めていたRichard Seroter(Senior Director and Chief Evangelist for Google Cloud)は、最近「ベストプラクティス」という言葉を使う気がしない、と話していた。それが本当にベストなのか、誰にもわからない時代になってしまったからだ。ほんの6〜12ヶ月前まで「鉄板」と思われていたRAGですら、もはや別のパターンに置き換わりつつある。これだけ変化が速い中で、私たちは何を頼りに動けばいいのか。これが彼の問題提起だった。

これにCieraが応じて、いま私たちは業界全体としてそれを探している最中なのだ、と話した。2年後あたりには、その探索の中から新たな統合と再編が起き、コーディングエージェント時代のベストプラクティスが立ち上がってくるだろう。それは研究者として楽しい時期になる、と彼女は付け加えた。

実は、会場で話した人たちや、別のセッションでも、似た話を聞いた。これまでの開発基盤やプロセスは、結局のところ「人間の処理速度」に合わせて組まれている。AIエージェントのスループットで開発が走るようになれば、その前提は通用しなくなる。だから根本から組み直さなければならないところが、いくらでも出てくる、というのだ。

サイバーセキュリティもそうだ。AIエージェントが大量に動く前提では、これまでなかった種類の脅威が立ち上がる。それに対する防御も、新しく考え直さなければならない。

つまり、ベストプラクティスがない領域は、爆発的に増えている。これは過去のデータの蓄積を必要とするAIでは対応できない領域だ。怖い話だ。一方で、人間の知性で切り開くべきフィールドが目の前に広がっている、と言い換えることもできる。

AIを敵役にする日々の習慣

ここまで構造変化の話だ。では、今まさにすべきことは何か。これもAddyが提供してくれていた。

彼が好んで使う言葉に「Mutual Amplification(相互増幅)」がある。AIを使うたびに、自分もAIも良くなっていく。両者が互いを高め合うループを作る、という考え方だ。具体的には、その日の気付きをMarkdownファイルに残し、翌日以降のエージェントに再利用させる。同じミスを翌日に繰り返さないようにする。そうすることで、昨日よりも昨日の自分を賢くできる。

もうひとつ印象的だったのが、AIを「Adversarial Network(敵対的なネットワーク)」として使う、という話だ。自分が書いたドキュメントやコードを、AIに敵役としてレビューさせる。「ここで何を見逃した?何が分かっていない?」と問う。AIはどうしても褒めてくれがちなので、わざわざ「Don't be nice!(優しくしないでくれ)」と注文する。

これは、Cognitive Debt(認知的負債)やCognitive Surrender(認知的降伏)—— 思考をAIに明け渡してしまう状態 —— に抵抗する実践として、とても良い。AIに降伏するのではなく、AIと対峙し続ける。そういう姿勢を、エージェンティックコーディングの第一線にいる彼が日々実装しているのだ。

人類はまだ、革命を起こしていない領域を山ほど抱えている

ここまでの話は、私の中の悲観を、ソフトウェア開発内側から組み直してくれるものだった。一方、Demis Hassabis(DeepMind 共同創業者・CEO)はまた別の形で私の視野を広げてくれた。

二日目のDialogues Stageで彼のセッション「A new era of discovery: AI and the frontiers of science with Demis Hassabis」があった。AIがどう科学の最前線を押し広げているかを語る内容だ。残念ながら別の予定もあって、私は一部しか聴けなかった。が、そのほんの一部が、初日のモヤモヤ感を一掃した。

Demisの指摘は単純だ。人類はまだ、解決できていない領域を山ほど抱えている。創薬、医療、基礎科学。AIですら、まだそこに革命を起こせていない。

これは、私にとって大きな視点の補正だった。私自身が経験してきたミニコンから(当時はおもちゃみたいに言われることもあった)パソコンへのシフトも、WindowsからWebへのシフトも、当時はアイデンティティの問い直しだった。ウェブアプリも、スマートフォンアプリも、私たちはそれぞれ「新しいもの」を作ってきたつもりだ。が、もっと大きな視座で見れば、それらは結局、既存領域の中の再発明だった。構造的にはマイナーチェンジに過ぎない。AIはその「再発明」の速度を凄まじく上げてしまった。その意味で、私たちが過去にやってきた仕事は、AIに圧倒される側に立たされる。

それでも、人類がまだ本当に手を付けていない領域には、革命を起こせる余地が膨大に残っている。

同日、WIRED.jpにWill KnightによるDemisのインタビュー記事も掲載された(デミス・ハサビス、AI時代の“開発者不要論”に異議 | WIRED.jp)。そこで彼は、開発者不要論にこう反論している。

なぜみんな、そんなことを確信したように語っているのか、わたしにはまったくわかりません。

もしエンジニアの生産性が3倍、4倍になるのであれば、単純に3倍、4倍のことをやりたいだけです。

創薬研究からゲーム開発まで、まだやりたいことが山ほどあります。そうした(新規)プロジェクトに振り向けられるエンジニアが増えるなら、大歓迎です。

まさにこれだ。そう思った。フロンティア領域にもっと踏み出せるはずだ。

DevelopmentからResearchへ

そう考えると、「開発者は不要になるのか」という問いの立て方は、間違っている。問うべきは、開発者の重心がどこに移るのか、だ。

私は一時、R&Dという組織にいたことがある。その際、いや、Rなんかほとんどやっていないから、Rは小文字で良いんじゃない? とか自虐的に言っていた。

ただ、本来ならば、今の多くの開発の仕事にも、多少のRの要素は入っているはずだ。だが、これまでの私たちは、ずっとDの側、つまりDevelopmentの側に重心を置いてきた。要件を読み解き、構造に落とし込み、検証し、保守する。もちろん、単なる翻訳作業ではなかった。それなりに頭は使ってきたつもりだ。ただ、敢えて言うならば ― 私自身ずっと否定してきた言い方ではあるが ― これらをまとめて、広義でのコードへの翻訳作業と呼んでしまうこともできなくはなかった。

これから増えるのは、Rの比重だ。Research。といっても、研究室でやるような純粋なResearchとは違っても良い。論文執筆や学会発表が必須でなくても良い。どんなDevelopmentにも、先ほども書いたように、もともとResearchの要素は多少混じっていた。新しい問題に直面したとき、何が問題かを定義し、仮説を立て、解法を試す。それが「Dの作業」のなかに溶け込んで、意識されてこなかっただけだ。これからは、そのR比率を意識的に高めていく。

先に「ベストプラクティスがない時代」の章で書いたとおり、新しい領域はいくらでも生まれる。AIエージェント前提の開発基盤、新しいセキュリティ脅威への対応、まだ誰も触れていない応用領域。常に新しい領域を切り開くのが、人間の仕事になる。会場で立ち話していた開発者たちも、同じ話で意見が一致した。だから、開発者には終わりがない、というのだ。

もちろん、人間が切り開いたResearch領域も、いずれはAIに置き換えられていく。やり方が固まれば、AIはそれを覚え、再現する側に回る。そうしたら、人間はまた次の領域に踏み出す。イタチごっこだ。自転車操業と言ってもいい。きつい話には違いない。

だが、これは人間がずっとやってきたことの延長線上にある。新しいやり方を見つけた人は、それを他の人にも使えるようにし、自分はまた次の、まだ誰もやり方を持っていない領域に進む。私たちはずっと、そうやって「誰でもできるもの」のラインを上に引き直してきた。今回もそれが起きている、というだけだ。

この「開発者には終わりがない」という見立てに、私は半分同意していた。「半分」と言うのは、すべての人がそれに向くわけではない、ということだ。Researchを楽しめる人と、できれば触れたくない人がいる。これは個人の性質の問題だ。移行は均一には進まない。

昨日のモヤモヤへの応答

昨日の記事を、私は「明確な答えを持っていない」「モヤモヤしたまま書いておく」と結んだ。

二日目を終えても、明確な答えは持っていない。だが、輪郭はずいぶん見えた。

その輪郭は、「もう開発者は要らない」でも「みんなが楽になる」でもない。役割が変わるのだ。Addyが口にしたとおり、それは100パーセントのアイデンティティシフトで、メンタルモデルのシフトだ。20年コードを書いてきた人間にとっては、正直きついのだろう。だが、その向こう側にあるのは、ベストプラクティスがない領域を切り開くResearcherとしてのエンジニアだ。大変だが、たぶん楽しい仕事だ。

昨日、私は「祭典の意味が変わってしまうのではないか」と書いた。今日、それを少しだけ書き直したい。祭典の意味は変わる。だが、終わるわけではない。別の意味の祭典になるのだ。会場で無邪気に記念撮影をしていた人たちも、アイデンティティのシフトの苦痛を越えて、新しい祭典の主役であり続けるのだろう。

年齢も年齢だが、相変わらず、私は変化は好きだ。弱気になってフルボッコされたから言うわけではないが。

*1:迂闊に個人の感想も言えないのか