PayPalマフィアは、実際に何をやったのか

この業界(どの業界なのかはともかく)にいて「PayPalマフィア」という言葉を聞いたことがない人は少ないのではないか。

私が初めて聞いたのはいつだろう。思い出せないが、かなり前だったのは間違いない。

でも告白すると、初期のPayPalで彼らが実際に何をやったのかを、長いことまったく説明できなかった。名前だけが妙に有名だった。

テスラとスペースXのイーロン・マスク、LinkedInのリード・ホフマン、YouTubeのチャド・ハーリー。元をたどると、みんなPayPalにいた人たちだ。並べてみると、そんなにいるのか、と改めて驚く。今でこそそれぞれ巨大な存在で、マスクやティールにいたっては名前を見ない日がないくらいだ。ただ、今やりたいのは「現在」の話ではない。彼らがまだ無名だった頃、一つの決済スタートアップで何をやって生き延びたのか。そこが知りたい。なので、ちょっと前に調べてみた。

具体的にたどってみると、やっていたのは現金のばらまき、偽の需要の演出、他社への寄生……と、なかなかエグい手の連続だった。その一部は、拙著「プロダクト倫理」でも紹介している。

そのエグさ自体は、正直に言えば意外ではない。意外だったのはむしろ、その一つひとつが、今の自分たちのプロダクトの作り方にまで影響を与えていることのほうだった。良くも悪くも、彼らが当時やったことは、今のプロダクト開発にそのまま生きている。

PayPalには二つの源流がある

PayPalが、もともと別々の二社が合併してできた会社だということは、よく知られているだろう。ピーター・ティールたちが作ったConfinityと、イーロン・マスクが作ったX.com*1が、2000年に一つになった、という話だ。今をときめく(色んな意味で)この二人が、もともとは別会社のライバルで、現金をばらまいてユーザーを奪い合ううちに、どちらも資金が尽きかけ、共倒れを避けるように合併した——という経緯は、それだけでも面白い。その「現金のばらまき」が何だったのかは、すぐあとで見ていく。

知らなかったのは、それより1レイヤ深い部分だ。ティール側のConfinity、つまり合併前の片方の会社の中だけでも、出自の違う二つのグループが混ざっていた。一つはスタンフォード系で、ティールと、彼が学生時代に作った学生新聞「The Stanford Review」の周りに集まった人脈。のちにLinkedInを立ち上げるリード・ホフマンも、もとをたどればこちら側だ。もう一つはイリノイ大学(UIUC)の技術者グループで、ここにマックス・レヴチンやルーク・ノセックがいる。ウクライナからの移民で、不正対策にめっぽう強かったレヴチンが、やがて技術側の中心になっていく。スタンフォードの起業家気質と、UIUCの泥臭い技術者気質。毛色の違う二つが、合併する前から一つの会社の中で同居していた。

人を数え上げるときりがないので、この記事では、初期PayPalを実際に生き延びさせた実務家に絞りたい。特に注目したいのは、いま名前を出したレヴチンだ。

マックス・レヴチン - Wikipedia

彼らが初期にやったこと

良いプロダクトを作れば売れる、というほど世の中は甘くない。そんなことは百も承知、という声が聞こえてきそうだ。ただ、彼らは「良いものを作ったのに売れない」状態から一気に成長へ駆け上がったのだから、その秘訣は知っておいて損はない。

そもそも初期のPayPalが売りにしていたのは、「メールアドレスさえあれば、誰にでもお金を送れる」という機能だった(オンライン決済のイメージが強い今のPayPalとは、少し印象が違うかもしれない)。しかも、この機能自体、最初から狙っていたわけではないらしい。初期の構想は携帯端末どうしの送金で、それを「でも相手が端末を持っていなかったら?」と問い直したのがホフマンだった、とされる。端末を介さずメールで送れるようにした瞬間、このプロダクトは爆発的に広がる余地を得た。良いものはできた。ただ、問題は誰にも知られていないことだった。

彼らがまずやったのは、現金のばらまきだった。新しく登録した人に現金を配り、その人が友人を紹介すると、紹介した側にもまた現金が入る。金額は一人あたり10ドルほど*2。今でいう友達紹介キャンペーンの始まりだ。

ただ、この施策の本当に巧いところは、配る金額の大きさではない。受け取り方のほうにある。配られた10ドルを実際に受け取るには、PayPalの口座を作り、自分の銀行口座と紐づけて、入った残高を引き出す——という一連の操作を、自分で一度やってみるしかない。タダで10ドルもらえると思って始めた人は、もらい終えたときには、PayPalでお金を受け取る手順を、ひととおり体験し終えている。広告で「便利ですよ」と説明する代わりに、便利さそのものを一回やらせてしまう。配った現金が、ユーザーにとって最初のプロダクト体験になっていた。

次の手は、もっときわどい。当時、個人間の決済がいちばん盛んだったのは、ネットオークションのeBayだった。そこでPayPalのチームは、ボットを放った。eBayの出品を機械で次々に巡回し、商品を落札したうえで、出品者に「支払いはPayPalでしたいのですが、使えますか?」と自動でメッセージを送る。落札できなくても、あらかじめ「PayPalは使えますか?」と問い合わせだけ送っておく。

出品者からすれば、見知らぬ買い手が次々と「PayPalで払いたい」と言ってくる。それなら登録しておくか、という気になる。だが、その買い手の多くは、PayPal自身が動かしているボットだった。実際にはまだ存在しない需要を、機械でそれらしく演出していたわけだ*3。こうしてeBayの出品者たちが、こぞってPayPalを入れていった。需要をでっち上げた、と言うと言い過ぎかもしれないが、ない需要をあるように見せたのは確かだ。

そしてもう一つが、寄生型の成長だ。PayPalは、出品者が自分のページに貼りつけるだけで使える、短いHTMLのコードを配った。ウェブの専門知識がなくても、指定された文字列を自分の出品ページにコピー&ペーストすれば、「PayPalで支払う」というボタンが表示される。買い手は、そのボタンを押すだけで支払いに進める。

このボタンの設計に関わったのが、当時PayPalのウェブデザイナーだったチャド・ハーリー——PayPalを離れたあとにYouTubeを立ち上げた人物だ(PayPalのロゴも彼のデザインだとされる)。このボタンのおかげで、eBayの何万という出品ページに、PayPalのロゴと「支払う」ボタンが、無料で次々に並んでいった。他人のプラットフォームの上に、自社の看板をタダで増やしていく。「まず道具として使ってもらい、そのままネットワークに囲い込む(come for the tool, stay for the network)」という、今ではすっかり定番になった型の、これが初期の実例だ。

この一連の手口は、私が拙著『プロダクト倫理』で「倫理的にグレーな成長施策」の例として取り上げたのも、ちょうどこのあたりだ。

だが、それだけではなかった

ただ、ばらまきと演出だけで、生き延びられたわけではない。むしろPayPalは、その後一度は会社が傾くところまで追い込まれている。

2000年から2001年にかけて、ドットコムバブルが崩壊した。新しい資金を集めるのが、いっぺんに難しくなる。そこへ、東欧やロシアのカード犯罪集団による詐欺被害が重なった。盗んだクレジットカードの番号でPayPalに決済をかけ、現金を抜いていく。一時は月に1,000万ドルを超える不正流出があったとされ*4、放っておけば会社が立ち行かないところまで膨らんだ。

これを技術で止めたのがレヴチンだった。彼が率いて作った不正検知の仕組みが「Igor」だ。名前は、当時の捜査線上に上がったロシア人詐欺師にちなんでいるそうだ。仕組みとしては、機械が怪しい取引を自動で拾い、最後は人間のオペレーターが判断する。この組み合わせで、不正を片端から止めていった。あわせて、登録時に歪んだ文字を読ませて相手が人間かボットかを見分ける仕組み(いまでいうCAPTCHAの、ごく初期に大きく普及した商用実装の一つ*5)や、相手の銀行口座に数セントだけ振り込んで「いくら入ったか」を当てさせる本人確認(マイクロデポジット)も導入した。今のネット金融サービスなら当たり前に見かけるこれらの仕組みを、早くから本格的に実戦投入した会社の一つが、この時期のPayPalだった。

ただ、このIgorには、後の話につながる影があった。誤検知だ。詐欺を取りこぼさないよう網を厳しくすれば、その分、なんの落ち度もない普通の利用者まで「怪しい」と判定してしまう。会社を救ったその仕組みは、同時に、無実の人の口座を一方的に凍結し、資金を止めてしまう仕組みでもあった。この副作用が、のちに大きな批判を呼ぶことになる。アカウントの凍結や停止をめぐる似たような話は、今のサービスでもよく聞く。

法律との付き合い方も強引だった。お金を預かって送る事業には、本来、アメリカでは州ごとに送金業のライセンスが要る。ところがPayPalは、それを取り切らないまま走り出し、まず利用者を一気に増やしてしまう。これだけの人が日常的に使っているものを、いまさら止められるのか——そういう既成事実を先に作ってから、後追いで各州のライセンスを取りにいった。ルールに先回りして許可をもらうのではなく、先に広げてしまって、ルールのほうを追いつかせる。この方針は、主にティールが引いたものだとされる。

この「先に広げて、規制をあとから追いつかせる」やり方も、実はPayPalだけの話ではない。拙著「プロダクト倫理」では、配車サービスのUberが各都市で同じことをした例を取り上げた。タクシーの規制が固まる前にドライバーと利用者を増やし、行政が止めようとする頃には、すでに多くの市民の足になっている。十年以上を隔てて、同じ型がくり返されている。

それは、今のあなたの作法でもある

ここまで読んで、「ひと昔前のスタートアップが、やんちゃをしていた頃の話」だと思ったかもしれない。だが、すでに気づいていると思うが、これは過去の話ではない。

現金を配る紹介プログラムを、うまく作り替えたのがDropboxだ。スタートアップ当時のDropboxには、PayPalのように現金をばらまく資金はなかった。そこで現金の代わりに配ったのが、自社サービスそのもの——クラウドの保存容量だった。友人を招待して、その人が使い始めると、招待した側にもされた側にも、無料の保存容量が上乗せされる。自分のサービスを配るのだから追加の出費はほとんどなく、しかも容量が増えれば増えるほど、ユーザーはDropboxを手放しにくくなる。創業者のドリュー・ヒューストン自身が、この仕組みをPayPalの紹介プログラムから着想したと認めている。

偽の需要を演出する手も、形を変えて受け継がれている。掲示板サイトのRedditは、立ち上げ当初、創業者たち自身が大量の偽アカウントを作って投稿し、いかにも賑わっているように見せた、と本人たちが語っている*6。誰もいない店には、誰も入りたがらない。だから、まず人がいるように見せる。eBayのボットと発想は同じだ。

他人のプラットフォームに寄生する型なら、Airbnbが初期にやったCraigslistへの相乗りが知られている。Airbnbに登録された宿を、当時もっと人が集まっていた別の掲示板Craigslistにも自動で投稿し、そちらから客を引っ張ってきた。これも相手の許可を取ったものではなく、当時から倫理的にも法的にもどうなのか、と指摘されていた。

こうした例は、ほかにも数えればきりがない。これらすべてが「PayPal発祥」だと言いたいわけではない。こうした手口が広く普及して、グロースハックの教科書に当たり前のように載るようになった、という認識だけは揃えておきたい。

これは、遠い昔の誰かの成功談ではない。今私やあなたが書いているコードや、今まさに組もうとしている施策の、作法そのものだ。紹介キャンペーンを設計するとき、競合のサービスに自社のリンクを撒くとき、まだ薄い需要を「人気がある」ように見せる演出を仕込むとき。私たちは知らないうちに、初期PayPalがやったことを、繰り返しているのだ。

影の話と、レヴチンのその後

ここまで、少し批判っぽく聞こえてしまったかもしれないが、そのつもりはない。彼らからすれば、現金のばらまきも需要の演出も、生き延びるために必死で考えた手段だった。それを非難などできない。PayPalによって得られた社会的価値は明らかに大きい。

ただ、当然ながら、割を食った側もいる。偽の需要で導入させられた出品者がいて、無断で相乗りされたサービスがあって、そしてIgorの誤検知で口座を凍結され、自分のお金を最大で半年近く引き出せなくなった人たちがいた。利息も払われないまま保留された資金が、会社の運転資金に回っていた、という批判もある。これは集団訴訟になり、2004年に約925万ドルで和解している。

ここで、最初に「この記事で注目するのはレヴチンだ」と書いたことに戻りたい。彼は現金ばらまきの主役でもなければ、eBayボットの主役でもない。それでも彼を背骨にしたのは、この話のいい部分と悪い部分を、いちばん一人で抱えているのが彼だからだ。会社を救ったIgorを作ったのはレヴチンで、そのIgorが無実の人の口座を凍結したのも、彼の仕組みだった。

そして面白いのは、その先だ。後年、レヴチンはAffirmという後払い決済サービス(BNPL)を立ち上げる。そこで彼が製品の核に据えたのは、「遅延手数料はゼロ、複利もとらない、買った時点で支払総額が確定する」という、とことん明朗な与信だった。延滞では稼がない、と言い切っている。人の口座を一方的に凍結する仕組みを作った人が、今度は隠しごとのない金融サービスを作ったわけだ。彼が改心したのかどうかも知らないし、改心していたとしても、それを美談にするつもりはない。後払いという業態そのものに「若い世代を借金漬けにする」という批判もある*7。それでも、グレーな領域を自分の手でくぐった人だからこそ、倫理を製品に組み込むことの重みを、人より知っているのかもしれないと思う。

で、結局なにが言いたいのかというと、「だから倫理が大事です」という単純な話ではない。もっと身も蓋もなくて、成長のための手法と、その倫理的な代償は、だいたいセットでついてくる、というだけのことだ。自分が今やっている施策にも、たぶん影の側はある。それを見ないふりをするか、理解した上でやるか。せめて、自分が何をやっているのかくらいは、わかっていたいと思う。

というようなことを、まるごと一冊かけて考えたのが、拙著「プロダクト倫理」だ。またまたまたまた宣伝で申し訳ない。

この記事で駆け足に紹介した話は、本のなかではもっと丁寧に、ほかの事例も交えて扱っている。この記事が面白いと思ったのならぜひ読んでほしい。倫理というと固そうだが、教科書的な説明は一切行っていない。読み物として読み進められるようにした。

最後に一つだけ。ここで名前を挙げた初期PayPalの人たちの何人かは、いま国家や社会を動かすくらいの場所にいる。ただ、動かせる力が大きくなるほど、(プロダクトに)倫理をどう埋め込むかという問いも、そのぶん重くなる。それくらいは、頭の隅に置いておいて欲しいと願う。


おまけ:PayPalマフィア人物名鑑

本文では人を広げないと書いたのに、調べているうちに自分用の一覧を作りたくなってしまった。せっかくなので置いておく。肩書きや活動は調べた時点のもので、ざっくりした備忘録くらいに思ってほしい。

氏名 PayPal での役割 PayPal 後の代表的な活動
ピーター・ティール 共同創業者・CEO(グループの「ドン」) Palantir 共同創業、Founders Fund、Facebook 初の外部投資家
イーロン・マスク 前身 X.com 創業者・買収時の筆頭株主 SpaceX、Tesla、Neuralink、xAI など
マックス・レヴチン 共同創業者・CTO(不正対策・技術の要) Slide(Google が買収)、Affirm 創業・CEO
デビッド・サックス COO(メール送金へのピボットを推進) Yammer 創業(Microsoft が買収)、Craft Ventures
リード・ホフマン 取締役・後に COO LinkedIn 共同創業、Greylock パートナー
キース・ラボア 事業開発・公共政策担当 EVP Square・Opendoor などの幹部、Founders Fund/Khosla
ケン・ハウリー 共同創業者・CFO Founders Fund 共同創業、元・駐スウェーデン/駐デンマーク大使
ルーロフ・ボサ 企業開発ディレクター・後に CFO Sequoia Capital グローバル・マネージングパートナー
ルーク・ノセック 共同創業者・マーケ/戦略 VP(リファラル考案) Founders Fund 共同創業、Gigafund
チャド・ハーリー ウェブデザイナー(HTML 支払いボタン等の設計) YouTube 共同創業・元 CEO
スティーブ・チェン ソフトウェアエンジニア YouTube 共同創業
ジョード・カリム ソフトウェアエンジニア YouTube 共同創業
ジェレミー・ストップルマン 技術担当 VP Yelp 共同創業・CEO
ラッセル・シモンズ シニアエンジニア Yelp 共同創業
ユ・パン 共同創業者・エンジニア(eBay 連携ツール) YouTube 初期メンバー
デイブ・マクルーア マーケティング・ディレクター 500 Global(旧 500 Startups)共同創業、エンジェル投資家
エリック・ジャクソン マーケティング担当 『The PayPal Wars』著者、CapLinked 共同創業

注:「PayPalマフィア」の範囲に厳密な定義はなく、2007年の『Fortune』のカバー写真に写った中核メンバーに、初期メンバーや周辺人物まで含めて二十数名とされる。上の表は知名度と記事との関連で抜粋したもの。

もっと読みたい人のために

takoratta.hatenablog.com

takoratta.hatenablog.com

*1:もちろん、Twitterの成れの果ての今のXとは別だ。

*2:リファラルの基準額。1999年末に一時20ドルまで上がった局面があるが、これはライバルのX.com(マスク)との消耗戦で吊り上がったもので、その後10ドル、5ドルと下げられ、最終的に一般向けは廃止された。紹介コストの総額は約6,000万ドルとも伝えられるが、財務開示で確認できる数字ではない。

*3:eBayでの決済シェアが稼働3か月ほどで33%に達したという記述もあるが、額面通りには受け取らないほうがいいかもしれない。

*4:損失率が一時、一般加盟店の十数倍に達したという記述もある。月1,000万ドルという数字もあくまでも「と言われている」レベルと受け取って欲しい。

*5:PayPalの実装は2001年。CAPTCHAの概念自体は1999年ごろにカーネギーメロン大学などで提案されており、「世界初の商用CAPTCHA」と断定はできない(ほかに先行例も指摘されている)。

*6:Redditの自作自演は、創業者のスティーブ・ハフマンとアレクシス・オハニアンによるものとされ、本人たちの複数の証言がある。ごく初期に限った話で、その後は実際の利用者で回るようになった。

*7:後払い利用者の約半数が、過剰利用・延滞・後悔のいずれかを経験しているという調査もある(米Bankrateの2024年調査では49%)。設計が透明であっても、後払いという仕組みが消費者の負債を増やしうる、という指摘は根強い。

AI時代、人間は非完全情報ゲームを担う

私が「AIには開発できない(だから引き続き人間が担うしかない)」と一年ほど前まで言い続けていたものがいくつかある。その代表がOSだ。自分がかつてOS開発に関わったから、という思い入れもある。だがそれを抜きにしても、OSがもっとも難易度の高いソフトウェアの一つだと言って、正面から反論する人は少ないだろう。優秀なエンジニアでなければ担当できない領域だ。AIがいくら優秀になっても、さらに進化を続けても、この複雑なソフトウェアだけはAIには作れない。そう考えていた。

OSと同じくらい難しいと思っていたものに、コンパイラがある。これもコンピューターサイエンスを修めた人間にしか書けず、AIには当面無理だろうと考えていた。

ところが、コンパイラは、もうAIが書けるようになっていた1。気づいたら、そうなっていた。そして今回のGoogle I/O 2026で、とうとうOSまでAIが書いてしまった。

まず、Google I/Oの基調講演で何が披露されたかを振り返ろう。 (またGoogle I/Oネタかと思われるかもしれないが、ご容赦願いたい)

12時間でOSを書いたデモ

基調講演でいちばん驚かされたのが、このデモだった。Antigravity 2.0 がGemini 3.5 Flashと組み、12時間でゼロからOSのコアを作り上げた、というのだ。基調講演ではその過程と結果が紹介された。驚いたのは私だけではないと思う。なにしろ私は昨年、あちこちで「AIにできないこともあるんですよ、たとえばOSの開発とか」と言っていたのだから。私はまた嘘つきになった。

数字も合わせて示された。動的に生成されるサブエージェントを93個、並列で走らせる。処理したトークンは26億に達し、それでいてAPIの費用は1,000ドルを下回ったという。圧巻は最後だった。組み上がったOSの上で『Doom』を起動しようとすると、キーボードが効かない。ドライバが欠けていたのだ。登壇者が「足りないドライバを書いてくれ」と指示すると、ほどなくドライバが書き上がり、ゲームはこともなげに動き出した。

舞台で見せる以上、リハーサル済みの仕込みではあるだろう。それでも、足りないものをその場で書かせて動かしてしまうのを見て、私は素直に驚いた。技術のデモというより、近い未来を表したSF的ショートムービーのようでもあった。

ただ、これは「完全なOS」ではなかった

落ち着いて調べてみると、これは本格的なOSと呼べるものには至っていない。あくまでコアのフレームワークであって、商用OSとの距離はまだ相当にある。Google自身も、言葉を選んで「教科書レベル」と表現していた2。学部の課題で作るトイOS3、というあたりが実像に近い。

それでも、ここから本格的なOSまで届く日は、そう遠くないだろうと個人的には見ている。一年でコンパイラからOSまで来たのだ。次の一年で何が起きるかを、私はもう言い切る自信がない。

では、なぜAIにOSが書けたのだろう。ここで1つの仮説にたどり着いた。

OSは完全情報ゲームだから書けるのではないか

OSがAIに書けたのは、OSが「完全情報ゲーム」に近いからではないか。

完全情報ゲームというのは、囲碁、将棋、チェス、オセロのような、盤面のすべてが両者に見えていて、隠された情報も運の要素もないゲームを指す。理屈の上では、先を読み切れば最善手が決まる。これに対して、ポーカーや麻雀、大富豪、じゃんけんのように、相手の手札が見えなかったり、全員が同時に動いたりするものは「非完全情報ゲーム」と呼ばれる4。こちらは、推測やブラフ、確率の管理が勝敗を分ける。

完全情報ゲーム 非完全情報ゲーム
情報の見え方 盤面のすべてが両者に見える。隠し情報も運の要素もない 相手の手札など一部が見えない。同時に動くこともある
勝ち方 先を読み切れば最善手が決まる 推測・ブラフ・確率の管理がものを言う
囲碁、将棋、チェス、オセロ ポーカー、麻雀、大富豪、じゃんけん

この2つを分ける境界線をソフトウェア開発に引いてみる。完全情報の側にあるのは、コンパイラやOSの中核のように、ルールや仕様がはっきりしていて、正解がほぼ定まっている領域だ。非完全情報の側にあるのは、ユーザーが次に何を求めるかを読んだり、まだ世にない製品が受け入れられるかを見極めたり、組織やチームをどう動かすかを決めたりといった、相手も状況も移ろう領域になる。ただし、OSを丸ごと完全情報の側に置けるわけではない。その中核は完全情報的だが、動的に制御する層は少し性質が違う。これは後半で改めて触れる。

AIが完全情報ゲームで人間を超えたのは、もはや歴史の話だ。古くは1997年、IBMのDeep Blueがチェスの世界王者を破った。2016年にはAlphaGoが囲碁のトッププロを破り、続くAlphaZeroは自己対戦だけで囲碁も将棋もチェスも超人の域に達した。盤面が全部見えていて、ルールが閉じている。そういう世界で、AIは強い。

なので、私はこう考えた。完全情報ゲームは、これからAIがやるようになる。一方、非完全情報ゲームのほうは、隠された情報を相手にする分、AIにはまだ無理だろう、と。

ところが、調べてみるとそうではなかった。ポーカーという非完全情報ゲームで、すでに2019年にAI(Pluribus)が6人のトッププロを相手に勝ち越していたのだ5。「不完全な情報を相手にする勝負ではまだ人間が上だ」という前提は、もう古かった。

ただし、ここにも一つ頭に入れておかなければいけないことがある。ポーカーは、隠れた情報こそあれ、ルール自体はきっちり閉じた非完全情報ゲームだ。一方、現実の人間を相手にする世界は、もっと開いている。ルールそのものが途中で書き換わるし、何が得点なのかさえ揺れる。

確立されたものを組み合わせて作るOSは、車輪の再発明

それでも、ある程度確立されたものを組み合わせて、用途に応じたOSを作り上げるのなら、それはやはり完全情報ゲームに近い。

ひとつ補っておく。AIが囲碁で強い理由(自己対戦を繰り返して最善手を探す)と、AIがOSを書ける理由(過去の実装を大量に組み合わせる)は、厳密には別のメカニズムだ。ただ、どちらも「ルールが閉じていて、正解が外にぶれない」という一点で通じている。だから同じ完全情報ゲームの比喩で扱える、と私は考えている。厳密な等号ではなく、あくまで見立てだ。

少し昔話をさせてほしい。私がマイクロソフトにいた頃、組み込み版のWindowsという製品(Windows Embedded)を担当していた。正直言うと、メインストリームではなく、傍流でマイナーな製品なので、担当になったときは少しがっかりした。

組み込み版と言うと、PDAやハンドヘルド機に載せる小型OSを想像されるかもしれないが、そうではない。ふだん私たちが使うPC用のWindowsを、特定用途向けに転用するためのプロダクトだ。

この製品が登場する前は、ライセンス的にはかなりグレーな形で、市販のWindowsを機器に組み込んでしまうことがあった。使われていたのは、スーパーやコンビニのPOS端末や、コピー・印刷・FAXをこなす複合機(MFP)などだ。私が担当していた2000年代前半には、たとえばPOSで、客側のディスプレイにCMのような映像を流すことが始まっていた。今ではどこでも見る風景だが、そこにWindowsのDirectXを使いたいという要求があった。そういう用途のために、Windowsを組み込みたいニーズがあったのだ。

組み込み版のWindowsは、私が担当していた当時では、Windows XPをベースに、OSを細かなコンポーネントに分割し、どれを使い、どれを使わないかを選んで組み込めるようにしたものだった。要するに、すでにあるOSの部品から必要なものを選んで組み合わせる作業だ。

ただ、これは見た目ほど単純ではない。コンポーネントには依存関係があり、あるDLLを持ってくれば動く、という話ではなく、必要な別の部品も芋づる式に付いてくる。そのうえ、基本のOS機能を並べるだけでは終わらず、さきほどのDirectXのような機器固有の機能を上に足し、限られたメモリやストレージといった組み込み特有の制約も満たさなければならない。当時の人間にとっては、なかなか骨の折れる仕事だった。

こう書くと高度な仕事に聞こえるし、実際それなりに頭は使った。当時の私も、これを「車輪の再発明」だなどとは思っていなかった。新しい製品を作っているつもりだった。だが、やっていることの芯は、すでにあるOSの部品を選び、並べ替えて、別の用途向けに組み直すことだ。同じパターンの繰り返しが、確かにある。今になって振り返れば、「車輪の再発明」と言われても仕方のない面はあった、とも見えてくる。

ここで一つ、念のために断っておきたい。これは、現場で日々新しいものを作っている開発者を否定する話ではない。一つひとつのプロダクトは、その現場の人間にとっては毎回が新規開発で、「車輪の再発明」などと言われたら腹も立つだろう。私自身、そう思っていなかった一人だ。だが、一歩引いた視座から眺める ― つまり、AIが訓練データで触れてきた量、これまで書かれたOSのソースコードや教科書、世に出た無数のOSSのほとんど、その側から眺める ― と、多くの新規開発は「どこかで見た何か」の組み合わせとして見えてくる。AIは、その「どこかで見た何か」を、人間が一生かけても読み切れない量で手元に持っている。だから、私たちが「新規開発」と呼んでいるものの相当な部分が、AIからは「既知の組み合わせ」に見えてしまう。

この視座の話は、Google I/Oの二日目に書いたエントリ「 アイデンティティシフトを生きる — Google I/O 2026 二日目に思ったこと - Nothing ventured, nothing gained. 」でも触れた。

新規のWebアプリも、スマホアプリの機能追加も、私たちはそのたびに「新しいもの」を作ってきたつもりだったが、もっと大きな視座で見れば、それらは既存領域の中の再発明だった、という話だ。今回の「AIがOSを書けた」も、その同じ話を別の角度から言い直しているにすぎない。

今回の基調講演で見たような、すでに動作実績のあるゲームを動かすためだけのOSは、視座を引いて見れば、車輪の再発明だ。だからAIが可能なのだ。

AI時代、人間はどこで働くか

では、完全情報ゲーム、つまり既知の組み合わせがAIの領分になるのなら、人間はどこへ行くのか。

ひとつは、非完全情報ゲームの側だ。ユーザーの行動を読み、UXを設計し、何に価値があるのかを決める仕事。ここはルールが閉じていない。何を得点とみなすかが、相手と時代によって動く。毎回毎回しつこく宣伝して申し訳ないが、私が書いた『プロダクト倫理』という本は、まさにこの領域 ― AIがKPIの最大化のために勝手にダークパターンを生み出さないよう、誰かがガードレールを引く仕事 ― を扱っている。

ここでOSの話に戻りたい。そもそも私がOSを完全情報ゲームに分類したのは、OSが人間と直接やりとりしないものだと見ていたからだ。WindowsやmacOSには、人間が直接触るUIの部分も多い。だが、そのUIをいったん脇に置くと、OSの本来の役割は、外部デバイスや別のソフトウェア(アプリケーションを含む)を動かすことにある。そこに人間はいない。相手は無機質なハードウェアやソフトウェアで、ルールどおりに動けばいい。盤面はすべて見えている、完全情報ゲームだと考えた。

ところが、その無機質なはずの相手も、動きが読めない。もちろん、その先には最終的に人間というユーザーがいるからだが、それを抜きにしても、デバイスやソフトウェアは互いの動作に影響を与え合う。あるプロセスの挙動が、別のプロセスの次の動きを変える。それぞれの部品が、たがいに反応しながら同時に動いている。

だから、OSの中にも非完全情報ゲーム的な層がある。スケジューラやメモリ管理は、次にどのプロセスが、いつ、どれだけのメモリを要求してくるかが見えない状態で判断を下している。盤面が全部は見えていない。だからこそ、メモリのページ置き換えならLRUやクロック、プロセスのスケジューリングならラウンドロビンや優先度方式といった、いくつものヒューリスティクスの中から、誰かが用途に合わせて選び、ときに新しく設計してきた。さきに予告したとおり、OSは完全情報ゲーム的な中核と、そうではない動的な層の二つからできている。その動的な層にこそ、人間の判断が残っている。

完全情報か非完全情報か、という二分法で人間とAIをきれいに分けられるわけではない。エージェンティックコーディングは、どちらの側にも入ってくる。ただし、その入り方が違う。完全情報の側では、AIが実装をまるごと引き受けられるようになっている。確定した最善手を、ほぼバグなく書ききってしまう。人間に残るのは、ルールとゴールを正しく定義することだ。非完全情報の側では、AIは確率的な候補を量産し、検証のループを回す。人間に残るのは、その中から何を採るかの意思決定と、AIが暴走しないための境界線を引くことだ。後者は、さきほどのダークパターンの話とそのままつながる。もっとも、OSのスケジューラのように技術寄りの非完全情報領域なら、最適なアルゴリズムを研究し、自分で書く仕事も、まだ人間の側に残っている。

開発の性質 AI(エージェント)の役割 人間に残る役割
完全情報的な開発(コンパイラ、物流のルート最適化、静的解析) 実装をまるごと代行する(確定した最善手をバグなく書く) 制約条件とゴールを定義する
非完全情報的な開発(アルゴ取引、セキュリティの異常検知、行動予測ベースのプロダクト) 確率的な候補を量産し、検証ループを回す 採否の意思決定と、倫理・境界線の管理

それでも、両方に共通して人間に残るものがある。正解のない場所で、何を作るべきかを決めることだ。新しい用途を切り拓く領域、まだ誰もやり方を持っていない領域だ。バイオや宇宙はわかりやすい領域だが、それだけではない。「青年は荒野を目指す」(古い例えでほんと恐縮だ)のように、フロンティアを目指すのだ。

視座が変わる時代に

一年前まで、私は「AIにOSは書けない」と言っていた。今は「すでにあるものを組み合わせる仕事なら、AIにできる」と言うようになった。一年でこれだけ変わるのだから、十年後にどうなっているかは、正直、私にはわからない。今回のこの整理も、来年には自分で訂正しているかもしれない。

今のところの予想はこうだ。完全情報ゲーム ― ルールが閉じていて、正解が定まっている領域 ― は、AIが得意とする。だから人間は、非完全情報ゲームの側、まだ正解のない領域に軸足を移していくといいのだろう。OSのように完全情報ゲームに見えるものの中にも、非完全情報的な層は残っている。そこも含めて、人間の出番がすぐになくなるわけではなさそうだ。

さて、来年(と言わず、今年の年末かもしれない)、このブログ記事を自分で読み直したときにどう思うだろうか。また前言撤回する事態になっていないことを祈ろう。


参考


  1. Anthropicが2026年初頭に公開した事例(Building a C compiler with a team of parallel Claudes)。16体のClaudeエージェントが、Rustで約10万行のCコンパイラをゼロから書き上げ、Linux 6.9をx86・ARM・RISC-Vでビルドできる水準に達した。ただしアセンブラとリンカは最後まで不安定で、デモではGCCのものを使っている。AIが書けるのはまだ「コンパイラ」までで、その先は人手が要るのが現状だ。
  2. Google公式ブログ(Google Antigravity Built an OS)でも、浮動小数点演算やユーザー空間の分離保護などが未実装であることが認められている。報道各社も揃って「コアフレームワークであって完全なOSではない」と指摘していた。デモの数字は公式・各報道に基づくが、舞台上のデモである以上、再現性や条件は割り引いて読むべきだろう。
  3. グラフィック機能を持たず、そのままではDoomも動かせないので、ここで名前を出すのは厳密には適切ではないのだが、規模感としてはxv6のようなものを思い浮かべてもらえばいい。私の娘が大学で使っていたことで知った、必要最低限のOS機能だけを備えた学習用OSだ。
  4. 細かいことを言うと、ゲーム理論には「完全情報(Perfect)」とは別に「完備情報(Complete)」という言葉があり、両者は別の軸だ。ポーカーはルールも利得も全員が知っている点で完備情報だが、相手の手札が見えない点で非完全情報、という整理になる。英語のスペル違いに気づいた方への注釈として置いておく。ここでは深入りしない。
  5. Pluribus(Brown & Sandholm, Science 2019)。6人制のノーリミット・テキサスホールデムで、世界トップ級のプロ集団を相手に統計的に有意な勝ち越しを記録した。ただし、ポーカーはルールが完全に形式化された非完全情報ゲームであり、ルール自体が動く現実世界とは性質が異なる、という留保は要る。

相互増幅 ― AIに考えを明け渡さないための較正

先日、知人から、開発中の新規プロダクト構想について相談を受けた。どう進めるべきか意見が欲しいという。私の本業なので、すぐに返事しようと思ったが、自信の持てない部分もあり、少し時間が欲しかった。だが、忙しかったこともあり、私は知人の相談文を、ほぼそのままAIに丸投げした。それも結構雑に投げた。

予想していたが、返ってきた答えは完璧だった。論点は押さえられ、筋も通っている。まあ、これでいいか。そう思って知人への返信に貼りつけ、送信ボタンを押そうとして、そこで、手が止まった。

知人は「及川に聞いて良かった」と言ってくれるだろう。だが、これは本当に私の考えなのか。相談してくれた相手への、誠意ある態度なのか。これを私が出した答えだと、胸を張れるのか。読み返しても、どこも間違ってはいない。だが、間違っていないことと、私が考えたことは、別だ。私は送信をやめ、自分の考えを改めて整理した。

先々週、Google I/OのDay2のエントリで、Addy Osmaniの「Mutual Amplification(相互増幅)」という言葉を紹介した。そのときは、敢えて深ぼりしなかった。だが、これこそ私が、そしておそらく私だけではなく、いま多くのAI遣いたちが悩んでいることだ。AIとの接し方、外部委託と降伏の、危うい境界である。

takoratta.hatenablog.com

また長くなったので、tl;dr

  • 外部委託(作業を任せる)と降伏(考えを明け渡す)は異なる
  • 脳は簡単に降伏する。AI誤答でも73%が受容し、自信は逆に上がる
  • 電卓と同じではないか・相関と因果を取り違えている・提唱者も自己矛盾しているなど反論もあり
  • 目指すは相互増幅。考えの中心と最後の表現は自分が握る
  • AIが賢くなるほど降伏は楽に。だから毎回考えることが重要

どこからが、降伏なのか

知人とのやりとりのあと、Osmaniが何を言っていたのかを腰を据えて調べ直した。彼が下敷きにしている概念に、Cognitive Surrender(認知的降伏)というものがある*1。これを出発点とした。

もともとこの話は、コーディングの文脈でよく語られる。AIがコードを書くのが当たり前になって、いま日本のソーシャルネットワークでも小さな論争が続いている。AIが生成したコードを、人間が一行ずつ読む必要があるのか。品質はテストや仕組みで担保すればいいのではないか。そういう主張に対して、ではセキュリティや設計の整合性、保守性の責任は誰が負うのか、という反発がぶつかる。どちらの言い分にも理がある。そしてこれは結局、外部委託と降伏の境界をどこに引くか、という問いだ。

これはコーディングだけの話ではない。たとえば、私はAIとこの種の壁打ちを一日に何度もやる。他の人もそうだろう。考えを整理するとき、文章の流れを点検するとき。便利だ。圧倒的に便利だ。そして便利だからこそ、AIの出力をそのまま自分の考えにしてしまいそうになる瞬間が、確かにある。出力はたいてい流暢で、自信に満ちていて、反論の隙が見当たらない。そのまま受け取れば、私は何も考えなくていい。

その時に逡巡する私の頭の状態は、実はOsmaniが提示する二つの境界そのものだ。いま私がやったのは、外部への委託なのか、それとも降伏なのか。電卓を叩くようにAIに手間を預けただけなのか。それとも、考えること自体を明け渡したのか。

実は、この見極めに名前がついている。較正(calibration)だ。Osmaniが議論の土台にした、ペンシルベニア大学ウォートン校の研究者たちの言葉である。彼らの実験については、あとで紹介するが、肝心なのは、AIが良いか悪いかではない。いま自分が、AIに助けてもらっているのか、それとも考えること自体を明け渡しているのか。そのどちらにいるかを、その都度見分けられるかどうか。それが較正だ。今回の記事は、その話だ。

外部委託と降伏は、違う

Osmaniの議論の出発点は、二つの言葉を区別することにある。

一つはCognitive Offloading(認知の外部委託)だ。電卓、検索、カーナビ。手段(how)は機械に委ねるが、答え(what)の判断は自分が握っている。電卓が10倍ずれた数字を出せば、桁を見て「おかしい」と気づく。カーナビが妙な道を示せば、無視して曲がる。委ねているのは計算や経路探索という作業であって、判断ではない。

もう一つがCognitive Surrender(認知的降伏)だ。これは答えを構築する行為そのものを手放す。AIの出力が、静かに自分の出力になる。決定的なのは、覆すべき自分の見解を、最初から持っていないことだ。電卓の桁を疑えるのは、私の中に「だいたいこのくらい」という感覚があるからだ。その感覚がなければ、出てきた数字が正しいかどうか、そもそも評価のしようがない。降伏とは、評価する足場を失った状態のことだ。

知人に送りかけたあの返信は、まさにそこにいた。私はそのプロダクトについての相談に対し、自分の見解を詰めきってはいなかった。自信の持てない部分は残ったままだった。AIの整理がよくできていたから、それで足りると思った。覆す対象を、十分に持っていなかったのだ。だから送信ボタンを押そうとした。

この降伏が静かに溜める負債はComprehension Debt(理解負債)と呼ばれる。コードや文章の総量と、自分が本当に理解している量の乖離だ。負債、すなわち借金は静かに利子を生む。あのとき送っていれば、「私が理解しきっていない私の助言」が残る。後でそれに対して更問いされたとしても、私は自分の言葉で踏み込めなかっただろう。

さきほど触れたウォートン校の研究者、Steven Shawの言葉を、Osmaniは肯定的に引いている。要するにこういうことだ。降伏は、AIが悪いという話ではない。鍵は較正にある。いつAIが自分の思考を助けていて、いつ自分の代わりに静かに考えてしまっているのか。その境目を見分けられるかどうかだ。

脳は、思ったより簡単に降伏する

困ったことに、この降伏は意志の弱さの問題ではないらしい。脳の設計の問題に近い。

さきほどのウォートン校の研究を紹介しよう。心理学者のDaniel Kahnemanが広めた、有名な区別がある*2

人間の思考には二つのモードがあるという話だ。反射的でぱっと出る直感(彼はSystem 1と呼んだ)と、腰を据えて筋道を追う熟慮(System 2)。会計の暗算で「だいたい合っている」と感じるのが前者、本当に検算するのが後者だ。ShawとNaveは、ここに三つめを加えた。脳の外で動くAIの推論、いわばSystem 3である。厄介なのは、この三つめが、二つめの熟慮を静かに肩代わりしてしまう点だ。本来は自分の頭で検算すべきところを、AIが先に答えを出してくれる。

彼らの実験では衝撃的な数字が挙げられている。AIが間違った答えを出した試行で、73%の人がその誤りに気づかず受け入れた*3。それだけなら、機械を信じすぎる話としてよくある。怖いのはその先だ。AIを使ったとき、たとえ答えが間違っていても、人の自信はむしろ上がった。

いわば、外から借りてきた自信だ。AIの自信に満ちた口調を、人は脳内で「自分の確信」に静かに両替してしまう。間違ったまま、自信だけが膨らむ。

学習の段階では、もっと露骨に効くらしい。Anthropicが新しいライブラリを学ぶエンジニアで行った実験では、AIの出力をそのまま使った群は、後の理解度テストでおよそ5割前後しか取れず、概念だけを尋ねた群は7割前後だった*4。納期は変わらないのに、頭に残るものが違う。タスクは終わる。だが、自分の中に残るものは少ない。

「電卓と同じでは?」という声も

ここまで書いてきたが、この議論には反論がいくつもある。

まず、電卓アナロジーがある。筆算を電卓に明け渡したのも、地図を読む力をカーナビに明け渡したのも、降伏ではなかったのか。なぜAIだけ特別扱いするのか。これは、Osmaniの記事が話題になったHacker Newsやredditといった技術者コミュニティの議論で、繰り返し投げかけられた問いだ*5。冷ややかだが、的を射ている。

私はこう考える。電卓は手段(how)を肩代わりするが、判断基準は自分の手元に残す。答えの桁を見れば、おかしいと感覚で気づける。だがAIが肩代わりするのは判断そのものだ。判断を評価する前提モデルを持っていなければ、誤りが存在することにすら気づけない。道具に判断ごと預けてしまえば、行き着く先は時に深刻だ。Google Mapの案内を信じて走り、崩落したまま放置された橋から転落して亡くなった人がいる*6。痛ましい話だ。ただ、この事故には崩落した橋という物理的な原因が残り、後から誰でも特定できた。コードやアーキテクチャ、プロダクトの設計判断には、その痕跡さえ残らない。どこで判断を間違えたのか、目に見える形では残らないのだ。

もっと厄介なのが、相関と因果は違う、という反論だ。さきほど挙げた研究の多くは、プレプリントである。いわば自己申告であり、相関にすぎない。逆の因果すらありうる。もともと深く考えない人ほどAIに頼る、という順序だってあるということだ。AIが人を浅くするのではなく、浅い人がAIを多用するだけかもしれないのだ。

モラルパニックの系譜、という反論もある。ソクラテスは文字を批判した*7。記憶を弱らせ、知ったつもりにさせる、と。同じ恐怖が印刷に、テレビに、インターネットに繰り返されてきた。今回のAIによる認知的降伏もそれと同じではないかとも考えられる。

そして、拡張(augmentation)派がいる。AIは人間の置換ではなく拡張だと、実感をもって語る実務家だ*8。そして面白いことに、現場はとっくにそちらに寄っている。Stack Overflowの2025年の調査では、開発者の8割超がAIを使う一方で、その出力を信用していない人がほぼ半数いた*9。使うが、疑う。この姿勢は、実はOsmaniの処方箋とほとんど同じだ。降伏を警戒せよという主張は、現場の体感を後から言語化したものでもある。

最後に紹介するのが、提唱者であるOsmani自身への、いちばん辛辣な批判だ。同じHacker Newsの議論で、こんな指摘が出た。降伏するな、AIの書いたものをそのまま追認するなと説くその本人が、自分のプロフィール文をAIに書かせたらしき痕跡を残している*10、と。学習を外部委託するなと言う人間が、自分の最も大事な自己紹介を外部委託していた、というわけだ。

だが、これは誰にでも起きることだ。私も自分のプロフィールを、しょっちゅうAIに書かせている。講演の依頼が来るたび、イベント事務局の指定フォーマットに合わせた自己紹介を考えるのが苦痛で、つい任せてしまうのだ。この罠は、概念に名前をつけた本人すら引っかかる。それくらい、降伏の誘惑は強い。だから私は、Osmaniの自己矛盾はむしろ彼の主張を裏づけているとさえ思う。

相互増幅という姿勢

ではどうするか。ここでようやく、Mutual Amplification(相互増幅)に戻ろう。

今回いろいろ調べるうちに、考えの拠り所になる議論にたどり着いた。

Andy Clarkという、サセックス大学で認知哲学を研究している人がいる。以前から「人間はもともとサイボーグだ(Natural-Born Cyborgs)」と言っている*11。私はまだ深く理解できてはいないが、要点はこうだ。人類は言語や文字、計算尺やノートといった外部の道具を取り込んでは、その都度自分を作り替えてきた。脳の境界は、頭蓋骨の内側で終わってはいない。だとすれば、AIを使うこと自体は、何も特別なことではない。私たちはずっとそうやってきたのだろう。

問題は、その道具が受動的か能動的かだ。ノートは私が書いたことしか返さない。電卓は私が叩いた数字しか計算しない。だがAIは、こちらが何も持たずに向かっても、もっともらしい答えを能動的に差し出してくる。だから問われるのは、その考えを生み出しているのは、誰なのか、だ。私がAIを使って考えているのか。それとも、AIが私を使って出力しているだけなのか。

相互増幅とは、考えの主導権を自分の手に残しておく姿勢のことだ。立派な理念ではない。もっと地味な、ふだんのやり方の話だ。

私の場合はこうだ。何か書きたいこと、発信したいことが出てきたら、まず頭の中にあるものを、まとまっていなくても全部書き出す。それをAIにぶつけて壁打ちする。すると考えが広がるし、抜けていた視点にも気づかされる。ここまでは、AIにかなり助けてもらう。

だが、肝心なのはそこからだ。出てきたうちのどれを使い、どれを捨て、どこをもっと掘るかは、自分で決める。気になったところは自分でも調べ直す。何かを学びながら書くときは、いきなり答えを出させるのではなく、先に「なぜそうなるのか」を聞くようにしている。そうやって考えの中心が固まってから、組み立てや下書きをAIに手伝ってもらう。ただ、最後の言い回しは、結局は全部自分で直す。中心は自分で持って、まわりをAIに手伝ってもらう。そこだけは入れ替えない。

冒頭の、知人への返信もそうやって出し直した。AIの下書きを一度消して、まず自分の考えを書いた。そのうえで、足りない視点はないか、見落としている前提はないかをAIに聞いた。結局AIには頼っている。でも今度のものは、ちゃんと自分の考えだと言えるものになった。丸投げする側から、うまく使う側に戻っただけだ。

Osmaniはこれに加えて、自分が書いたものをAIにわざと厳しくレビューさせるらしい。AIはほっておくと褒めてくるので、「Don't be nice!(優しくしないでくれ)」と注文するそうだ*12。これは正直、私はまだそこまでできていない。でも、言いたいことはよくわかる。気持ちよく褒められた時点で、もう半分降伏しているようなものだ。

降伏しない、という日々の選択

これらは、どれもわざわざ手間を増やすやり方だ。較正とは、要するにその手間をかけ続けることだ。そして、やっかいなことに、その手間は年々重くなっていく。AIが賢くなるほど、降伏は楽になる。出力はどんどん流暢になって、疑う理由が減っていく。逆に、増幅のほうはいつまでも努力がいる。放っておくと楽なほうへ流れる。その力が、これからもっと強くなる。

だから、毎回ちょっと立ち止まる。いま片付けたこれは、本当にただ終わらせただけなのか。それとも、自分の中に何か残ったのか。結局、その問いを忘れずにいることくらいしか、理解負債に抗う方法はない気がしている。AIに考えまで任せてしまうのか、自分の手元に残すのか。AIがここまで普及した今、私たちは毎日その岐路に立っているのかもしれない。

関連記事

理解負債を、コードの現場で具体的にどう食い止めるか。この記事では姿勢の話に絞ったが、実務について日本語で優れた記事が出ている。あわせて読んでほしい。

また、今回の記事で紹介したソースを集めたNotebookLMのノートも共有する。

*1:Addy Osmani「Cognitive Surrender」(2026年5月)。 AddyOsmani.com - Cognitive Surrender

*2:Daniel Kahneman『ファスト&スロー』(2011)。System 1(速い直感)とSystem 2(遅い熟慮)の区別。

*3:Steven D. Shaw, Gideon Nave「Thinking—Fast, Slow, and Artificial: How AI is Reshaping Human Reasoning and the Rise of Cognitive Surrender」(2026)。SSRN 6097646 / OSF 10.31234/osf.io/yk25n_v1。査読前のプレプリントであり、結果は相関を含む点に留意。System 1/2に脳外のSystem 3を加えるTri-System Theoryの提唱、AI誤答時に73%が誤りを受け入れた件、および誤答時に主観的な自信がむしろ上がる効果(borrowed confidence)は、いずれもこの論文による。

*4:Jared H. Shen, Alex Tamkin「How AI Impacts Skill Formation」(Anthropic, 2026)。arXiv:2601.20245。N=52の小規模RCTで、即時の理解度テストでの差である点に留意。

*5:Hacker News での議論。電卓アナロジーによる反論は、Osmani「Cognitive Surrender」を取り上げたArs Technica記事へのスレッド( "Cognitive surrender" leads AI users to abandon logical thinking, research finds | Hacker News )などで交わされた。

*6:Google Mapの誤誘導による転落死事故。「グーグルマップが崩落した橋に誘導」、転落死の男性遺族がグーグル提訴 - CNN.co.jp

*7:プラトン『パイドロス』におけるソクラテスの文字(書記)批判。

*8:Simon Willison。発言はポッドキャスト「Generationship」Ep.39( Generationship | Ep. #39, Simon Willison: I Coined Prompt Injection | Heavybit )など。AIは人間の置き換えではなく拡張だ、という立場。

*9:Stack Overflow Developer Survey 2025。 2025 Stack Overflow Developer Survey

*10:Osmani本人のプロフィール文をめぐる指摘は、別記事「Don't Outsource the Learning」へのHacker Newsスレッド( Don’t Outsource the Learning | Hacker NewsIt makes me incredibly sad to see Osmani letting AI write his stuff for him. I w... | Hacker News )で交わされた。

*11:Andy Clark『Natural-Born Cyborgs』(Oxford University Press, 2003)。拡張された心という発想は、Andy Clark and David J. Chalmers「The Extended Mind」(Analysis 58(1), 1998)にさかのぼる。

*12:自分の出力をAIに敵役としてレビューさせる(反駁させる)のは、Osmani「Cognitive Surrender」(脚注1)が挙げる対策のひとつ。「Don't be nice!」というフレーズはGoogle I/Oの炉辺談話で語られたもので、本文冒頭でリンクしたDay2エントリに記録がある。

「最終判断は人間が行います」が嘘になるとき ― ICOが暴いた採用AIの実態

英国の情報コミッショナー事務所(ICO)が今年3月末、「Recruitment Rewired」という採用AI調査報告書を公表した*1。2025年3月から2026年1月にかけて、30社以上の主要な雇用主と採用プラットフォームから任意の協力を得る形で運用実態を聞き取った、なかなか珍しい調査だ。

報告書そのものは英語の長文で、自分も全部に目を通したわけではない。だが英国の法律事務所がこぞって解説記事を出していて、流れてきた要約の中で目に留まった一点がある。多くの企業が「最終判断は人間が行っています」と説明していたにもかかわらず、ICOから見れば、その「人間の関与」は法的に意味を持たない形だけのものだった——そう結論づけられているのだ。

拙著「プロダクト倫理」の第7章では、Amazonの採用AIが女性候補者を体系的に低く評価していた事例を扱った。先日もこのブログで、同じ第7章を引きながらWorkday訴訟の話を書いている。

takoratta.hatenablog.com

Workday記事の論点は「AIにバイアスが入り込む構造」と「ベンダーと雇用主の責任の空白」だった。一方、今回のICO調査は別の角度から、もっと根本的な問いを突きつけている。AIに最終判断を委ねていないと組織が信じているプロセス、その「人間関与」は、そもそも判断と呼べるものなのか。

「人間が最終判断します」というアリバイ

解説記事や報告書サマリーを拾い読みすると、ICOの調査が浮き彫りにした「アウト」の運用パターンが4種類ほど見えてくる*2

ひとつは「ラバースタンプ承認」——いわゆる判子押しだ。AIが選別した最終候補リストを、採用担当者がほぼノーチェックで通している。組織側は「人間が確認している」と認識しているが、その確認に実効性がない。

これと地続きで、もっと悪質なのが、事前確定された不採用のダミープロセスである。書類選考の時点でAIが既に内部的には不採用と判定しているにもかかわらず、候補者にはあたかも選考が続いているかのようにビデオ面接や行動アセスメントを受けさせる。結果が出ている選考に、候補者の表情データや音声データだけが取得され続ける。データ最小化の原則に正面から反する運用だ。

別の典型が、応募直後に届く自動不採用通知だ。応募送信から数分後、明らかに人間がレビューしていない時間帯に、自動的に不採用メールが届く。ICOはこれを、UK GDPR——英国版の一般データ保護規則、EU離脱後に英国が独自に引き継いだデータ保護法——の第22条、個人に重大な影響を及ぼす「完全に自動化された意思決定」に対するセーフガードを定めた条文に、正面から抵触するものとして位置づけた。

そして、落とされた候補者がなぜ落ちたのかを問う窓口も、人間による再審査を求める窓口も用意されていない。異議申し立て権の事実上の不在である。

ICOの調査を分析した解説の表現を借りれば、多くの企業は「人間の関与をでっち上げて(fabricating)」きた*3。形だけ整えれば自動意思決定の規制を逃れられると考え、人間の承認ボタンを免罪符として使ってきた。Recruitment Rewired は、この免罪符を一枚ずつ剥がして見せた報告書である。

Meaningful Human Involvement の3要素

ICOが踏み込んだのはここからである。「人間の関与は形だけではダメだ」と指摘するだけでなく、「意味のある人間の関与(meaningful human involvement)」と認められるためには何が必要かを、3つの要素として明示している。

1つ目は、覆す権限と専門性。AIが出したスコアや判定を、ただ眺めて承認するのではなく、実際に覆せる権限を持っていること。そしてその権限を行使できるだけのトレーニングと専門知識を持っていること。「決裁ハンコは押せるが、ハンコを押さない選択肢は実質的にない」状態は、関与とは呼ばない。

2つ目が、一貫性と均一性。同じ選考ステージにいる候補者全員に対して、同じ質の人間レビューが適用されていること。「人間レビューが入る候補者と入らない候補者がいる」運用——たとえば社内紹介の候補者だけは人間が見るが、公募の候補者はAIだけで切られる、というような不均一は認められない。

3つ目が、アルゴリズムの論理理解。レビューを担当する人間が、AIシステムの仕組み、限界、バイアスのリスクを体系的に理解していること。「AIが推奨と書いていたから推奨した」ではなく、どういうデータでどう学習されたかを踏まえた上で判断していなければならない。

この3要素を並べると、これまでの「Human in the Loop」議論がいかに大雑把だったかがわかる。「人間を介在させればよい」という言い方は、介在の有無だけを問題にしてきた。ICOはそこに「介在の質」という軸を持ち込んだ。介在しているかどうかではなく、介在に意味があるかどうかが評価軸だと宣言したわけだ。

拙著の第7章で「精度という計器」という表現を使った。AIの精度は誰でも測れるが、精度が高いことと、運用が公正であることは別の話だ——そういう趣旨だ。今回の3要素は構造が似ている。人間が介在しているかどうかは誰でも測れる。だがその介在が判断と呼べるかどうかは、3要素のすべてを満たして初めて評価できる。

見かけの正しさと、実質の正しさ。プロダクトを作る側にとって、これは古くて新しい問いだ。チェックリストの項目を埋めることが、設計の質を担保することと同じになっていないか。「最終判断は人間が行います」と書いたら、その人間に上の3つを実際にできる環境を用意したか。

候補者は「アルゴリズムに削られる」体験をしている

採用AIをめぐる議論は、つい運用者と規制当局の話に偏りがちだ。だがICO報告書と同時期に出てきた求職者側の調査が、もう一つの視点を補ってくれる。

採用プラットフォームのGreenhouseが英国を含む5カ国の求職者2,950名を対象に行った調査*4によれば、英国の求職者の47%がすでにAI面接を経験している。30%は「採用プロセスにAIが入っていることに嫌悪感を覚え、応募そのものを辞退した」と答えた。そしてAIアセスメントを受け終えた候補者の42%は、合否の連絡を一切受け取っていない——いわゆる「自動化ゴースト」だ。

数字だけだと体温が伝わらないので、当事者の声を引用する。ロンドン・クイーンメアリー大学のビジネス学部3年生、ブバナ・チルクリ氏(20歳)のBBCインタビュー*5だ。彼女は卒業を控えて100社以上に応募し、すべて不採用となった。応募から2分と経たずに自動の不採用通知が届くことが何度もあった、と振り返っている。

特に彼女が応えていたのは、20分間にわたる一方向のAIビデオ面接だ。質問が画面に表示され、それに対して自分の言葉で答える。だが対話相手の人間はいない。画面には自分自身の顔の反射だけが映っている。彼女はこう語っている。「ロボットになった気がする。20分間、画面の中の自分を見ながら質問に答え続ける。次第に話し方が単調(monotone)になり、自分の個性が削られていく」と。

一方向ビデオ面接、自動スコアリング、即時の不採用通知——英国だけの話ではない。同じ仕組みは、こちらの採用市場にもことごとく入ってきている。

問題は公正性だけではない。落とされた本人にすら、なぜ落とされたのかが見えない、誰の判断によって落とされたのかが見えない。拙著の第4章で扱ったリクナビ事件と通底するのは、自分のデータが、自分の知らないところで自分の処遇を決める構造だ。事件の枠組み自体は同意のもとでの情報加工であって自動意思決定とは違うが、本人不可視の判断という骨格は重なる。自律性と尊厳の問題が、採用の入口でこじ開けられている。

DUAA 2025 ― 規制が「許容」に転じたからこそ、設計責任が重くなる

規制側がこの構造に応答した形が、英国の新しいデータ保護法である。2026年2月5日に施行されたばかりのData (Use and Access) Act 2025(以下、DUAA)*6は、UK GDPR を部分的に書き換える大型の改正法で、ICO調査の背景にある。先に触れた第22条がまるごと廃止され、第22A条から第22D条という4つの新条文に置き換わった。

最大の変更点は規制の哲学である。旧第22条は「完全に自動化された意思決定は原則禁止、例外として許す」というモデルだった。DUAA 後は「セーフガードを実装することを条件に原則許容、ただし候補者には異議申し立て権と人間による再審査を要求する権利を保障せよ」というモデルに変わった。

見かけは規制緩和だ。だが現場にかかる圧力は逆向きである。「セーフガードを実装できない事業者は、自動意思決定をやってはいけない」という設計責任の集中だ。雇用主は二つのパスから一つを選ぶことになる。パス1は、完全自動化を採用すると認めた上で、透明性開示、異議申し立て窓口、バイアス監査、DPIA(データ保護影響評価)、再審査プロセスをすべて自前で整備する。パス2は、全選考段階で意味のある人間関与(あの3要素)を組み込み、書面で実証できるようにする。応募が年間数万件入ってくる企業にとって、パス2は事実上不可能だ。だからほとんどがパス1を選ぶ。だがパス1を真剣にやると、システムも組織も大幅に作り変えなければならない。

EUに目を移すと、AI Act が並走している。AI Act はAIシステムをリスクのレベルに応じて分類・規制するEUの包括法で、その第5条には「禁止されるAIの用途」が列挙されている。第5条1項(f)によって、職場と教育機関における感情推測AIシステムは2025年2月2日から全面禁止になった*7。表情やトーンから感情を読み取って評価につなげるたぐいのものは、もうEU域内では使えない。採用関連AIは禁止には至らず「高リスク」分類で、現行法上は2026年8月2日から本格適用が始まる(Digital Omnibus パッケージにより2027年12月への延期が提案されているが、本稿執筆時点で成立していない)。

米国でも州・市の単位で動きが続いている。ニューヨーク市の「Local Law 144」——市議会が制定する条例に通し番号を振った144番目という意味だ——は、市内で採用や昇進に使われる自動意思決定ツールに対し、毎年の独立第三者によるバイアス監査を義務付ける。違反には日額の民事罰があり、2025年12月のニューヨーク州監査機関の報告を契機に、市の執行機関も対応を一部見直す段階に入った*8。カリフォルニア州でも2025年10月、採用AIベンダーを雇用主の「代理人(agent)」として差別禁止法の対象に明文化する規則が発効した*9

規制側の動きを並べて見ると、共通の方向性がはっきり見える。プロダクトを作る側に、自分たちの設計が法的にどの位置にあるかを説明しろ、と要求している。

日本のプロダクトを作る人にとって何が問われているか

日本に視点を戻す。日本の個人情報保護法には、UK GDPR 第22条のような「完全に自動化された意思決定」を正面から扱う規定がない。プロファイリングを一般的に禁止する条文も、自動的に下された判断に対する異議申し立て権を一般的に保障する条文も、現時点では存在しない。

一方で、利用目的の特定・通知公表義務、2022年改正で拡大された利用停止・消去請求権、要配慮個人情報や第三者提供の規律など、自動審査に使うデータや利用方法を間接的に縛る仕組みは個人情報保護法にも備わっている。UK GDPR 第22条のような正面からの自動意思決定規制がないというだけで、何の制約もないわけではない。

だからといって、日本の採用現場で起きていることが英国と違うわけではない。書類選考は半数近くの企業が何らかのAIを使い、用途の多くがCVスクリーニングだ*10。応募から数分後に届く自動不採用通知、異議申し立てを受け付けない仕組み、応募者本人に「あなたの履歴書はAIが見ました」と説明されない不透明さ。ICOが「実態は完全に自動化された意思決定だった」と指摘した同じ3点が、日本ではまだ「DXの一環」として粛々と運用されている。

採用に限らない。ローン審査、保険料算定、信用スコアリング、社内人事評価のRPA——AIに最終承認の判子だけ人間に押させるワークフローは、いまや業務改革の標準パターンの一つだ。ICOが指摘した「介在の質」という基準を当てはめれば、その大半は「人間関与」の名に値しない設計になっているのではないか。

法律で縛られていないからこそ、プロダクトを作る側の自律的な判断が問われる。これは抽象的な倫理の話ではなく、5年後・10年後にどんな労働市場・どんな与信市場をつくっているかの選択でもある。

拙著「プロダクト倫理」では、自律性/透明性/公正性/安全性の4原則を軸にプロダクトの倫理性を整理している。ICOの「意味のある人間の関与」3要素は、特に透明性と公正性、そして候補者の自律性の交差点にある問題だ。「最終判断は人間が行います」という一行を書く前に、その「人間」が3要素を実際にできる環境にいるか。その問いを設計レビューに組み込めるかどうかで、プロダクトの寿命は変わってくる。

説明文と実装のあいだ

ICO調査の結論はシンプルだ。「最終判断は人間が行います」という説明は、書いただけでは意味を持たない。それを書く前に、書いた通りのことを実装したかどうかが問われる。

書いたものが嘘になる瞬間は、誰かが意図的に嘘をついたときだけではない。書いたつもりのことを実装しなかったとき、書いたままにできる組織体力を維持しなかったとき、誰の悪意もなしに、説明文は静かに嘘になる。

採用に限らず、AIに任せたつもりのプロセスが、説明文と実装の間でどれくらい乖離しているか。「最終判断は人間が行います」の主語を、自社のプロダクトに置き換えて読み直してみてほしい。

*1:Information Commissioner's Office, "Recruitment rewired: an update on the ICO's work on the fair and responsible use of automation in recruitment," 2026年3月31日

*2:ICO報告書の4類型と「人間関与をでっち上げる(fabricating)」という指摘は、Browne Jacobson および DLA Piper の解説で整理されている。Browne Jacobson, "Algorithms in hiring rooms: ICO spotlights automated recruitment"

*3:ICO報告書の4類型と「人間関与をでっち上げる(fabricating)」という指摘は、Browne Jacobson および DLA Piper の解説で整理されている。Browne Jacobson, "Algorithms in hiring rooms: ICO spotlights automated recruitment"

*4:Greenhouse, "2026 Candidate AI Interview Report"(米英愛独豪の5カ国、計2,950名の求職者を対象とした調査)。英国の数値の詳細は HR Grapevine, "Half of UK jobseekers have faced an AI interview"(2026年5月)にまとめがある

*5:BBC News 2026年3月。原典記事URLは特定できなかったため、BBC を引用した二次資料として Legit.ng "AI recruitment leaves student frustrated, 100 job applications rejected" を脚注に挙げておく

*6:Data (Use and Access) Act 2025、英国議会の法案ページ。施行日と Article 22A〜22D への置き換えについては DLA Piper, "UK Commencement of the Data Protection Provisions in the Data Use and Access Act"

*7:EU AI Act 第5条本文は artificialintelligenceact.eu/article/5/。職場における感情推測AI禁止の解説は Bird & Bird, "AI and the workplace: navigating prohibited AI practices in the EU"

*8:Office of the New York State Comptroller, "Enforcement of Local Law 144 – Automated Employment Decision Tools"(報告書番号 2024-N-6、2025年12月2日)。違反の民事罰は1違反あたり500〜1,500ドル(1日あたり最大1,500ドル)。同報告書は、執行機関である消費者・労働者保護局(DCWP)の執行が「実効性に欠ける」と指摘し、苦情ベースから抜き打ち監査ベースの積極執行への移行を含む13項目を勧告した。DCWPの応答は同報告書末尾の Agency Comments に収録されている。独立解説として DLA Piper, "Critical audit of NYC's AI hiring law signals increased risk for employers" は、DCWPが苦情処理プロセスの強化、職員のクロストレーニング、インタビューやAEDTデモを含む調査手法の拡充など大半の勧告を受け入れた一方、苦情ベースを離脱した完全な積極執行までは引き受けを見送ったと整理している

*9:California Civil Rights Department, "Civil Rights Council Secures Approval for Regulations to Protect Against Employment Discrimination Related to Artificial Intelligence"(2025年10月1日発効)

*10:日本経済新聞 2026年4月8日朝刊「採用AIに差別された 誰が責任負う?」。48%(採用へのAI導入率)、書類選考が用途の68%、AI面接官に不安を感じる就活生の6割超といった数値は同記事に基づく

アイデンティティシフトを生きる — Google I/O 2026 二日目に思ったこと

Google I/Oが終わった。

昨日、「Disruptする側、される側」と題して、Google I/O 2026 初日のモヤモヤを書いた。「明日、I/Oの2日目がある。…私はそれを見届けてから、もう一度考えたい」と結んだ。今日はその続きだ。

それにしても、今日も暑かった。昔のように、サンフランシスコ市内のMoscone Centerでの屋内開催にまた戻らないだろうか。

ちなみに、昨日のブログは思いもよらぬ反響があった。賛同もあれば、厳しい否定もあった。正直、多少は傷ついた*1。が、誰かの考えるきっかけになったのなら、それで十分だ。私自身も、初日の感想を二日目に上書きすることになった。なんだかんだ言って、私は変化を楽しんでいるのだろう。

「100パーセントのアイデンティティシフトだ」

二日目で最も響いたのは、「A fireside chat on the evolution of the developer craft(日本語にするならば、「開発者のクラフトの進化についての炉辺談話」とでもなろうか)」というセッションだ。GoogleのDeveloper / AIチームのリーダーたちが、コード生成の裏にある問いを語り合う。登壇者の1人が Addy Osmaniだ。

Addy Osmaniは、日本でも知っている人が多いだろう。彼はもともとWeb開発、とりわけChrome周りでの発信で広く知られていた。私がChromeチームにいた頃にも、少しだけ関わりがあった。そのAddyが、今やエージェンティックコーディングの世界のオピニオンリーダーだ。役立つSkillsなども精力的に出してくれていて、私も日々参考にしている。

そのAddyが、こう言った。「今起きていることは100パーセントのアイデンティティのシフトであり、メンタルモデルのシフトである。コードの道筋に対するコントロールを、手放さなければならないからだ」。彼はさらに踏み込んだ。20年もソフトウェアを書いてきた人間にとって、これは気持ちのいいものじゃない。きつい。私たちはこのきつさを、まだ十分に語れていないとも言った。

聴きながら、何度も頷いた。初日の私の感想は抽象的であったが、それをAddyは、明快に言い切ってくれた。彼は、個人の感傷ではない。業界全体で構造的に起きている話だとも言っていたように思う。

「アイデンティティクライシス」

これは私が昨年講演で使った言葉だ。シフトできれば良いが、シフトできなく、さまよう人にとっては、それはクライシス以外の何物でもないだろう。

プログラマーからエンジニアへ、そしてプロダクトマネージャーへ

Addyの話は「きつい」で終わらなかった。彼はきつさを認めたうえで、私たちがどこへ向かうかへと話を進めた。

これはむしろ、私たちを「プログラマー」から「エンジニア」へと押し上げる、ある種の強制力になる。彼はそう話した。同じfireside chatに登壇していたCiera Jaspan(Software Engineer)も、近いことを言っていた。「Programmers → Engineers」というのが、彼女が前向きに使った表現だ。シニアの定義も、もはや「他人が書けないコードを書ける」ことではない。「コンテキストを理解している」ことだ。

昨日の私は「使いこなす職人」という言葉を使った。今日、その職人は、構文を握る職人から、コンテキストを掴み、トレードオフを判断し、システム全体の構造に責任を持つ「エンジニア」へと押し上げられようとしている。

Cieraが紹介した自分のチームでの実話が、それを裏付けた。ある一週間、彼女のクロスファンクショナルなチームが、全員でAIの使い方を探った。週末に集まってみると、おかしなことが起きていた。ソフトウェアエンジニアたちはコードを書かずにドキュメントを書いていて、UXリサーチャーたちは逆にコードを書いていた。彼女はこれを「みんなが他人の仕事をジュニアレベルでやり、自分の仕事をシニアレベルでやっていた」と表現した。

これは未来予想ではもはやない。いま現にGoogleのチームの中で起きていることだった。境界はゆるやかになる。職能の名前は残るかもしれないが、中身は混ざる。

ベストプラクティスがない時代

ただ、ここで引っかかる点がある。コンテキストを掴み、トレードオフを判断する。この新しいエンジニア像を満たすには、何かしらの拠り所が必要なはずだ。ところがいま、その拠り所が急速に消えつつある。

同じfireside chatでホストを務めていたRichard Seroter(Senior Director and Chief Evangelist for Google Cloud)は、最近「ベストプラクティス」という言葉を使う気がしない、と話していた。それが本当にベストなのか、誰にもわからない時代になってしまったからだ。ほんの6〜12ヶ月前まで「鉄板」と思われていたRAGですら、もはや別のパターンに置き換わりつつある。これだけ変化が速い中で、私たちは何を頼りに動けばいいのか。これが彼の問題提起だった。

これにCieraが応じて、いま私たちは業界全体としてそれを探している最中なのだ、と話した。2年後あたりには、その探索の中から新たな統合と再編が起き、コーディングエージェント時代のベストプラクティスが立ち上がってくるだろう。それは研究者として楽しい時期になる、と彼女は付け加えた。

実は、会場で話した人たちや、別のセッションでも、似た話を聞いた。これまでの開発基盤やプロセスは、結局のところ「人間の処理速度」に合わせて組まれている。AIエージェントのスループットで開発が走るようになれば、その前提は通用しなくなる。だから根本から組み直さなければならないところが、いくらでも出てくる、というのだ。

サイバーセキュリティもそうだ。AIエージェントが大量に動く前提では、これまでなかった種類の脅威が立ち上がる。それに対する防御も、新しく考え直さなければならない。

つまり、ベストプラクティスがない領域は、爆発的に増えている。これは過去のデータの蓄積を必要とするAIでは対応できない領域だ。怖い話だ。一方で、人間の知性で切り開くべきフィールドが目の前に広がっている、と言い換えることもできる。

AIを敵役にする日々の習慣

ここまで構造変化の話だ。では、今まさにすべきことは何か。これもAddyが提供してくれていた。

彼が好んで使う言葉に「Mutual Amplification(相互増幅)」がある。AIを使うたびに、自分もAIも良くなっていく。両者が互いを高め合うループを作る、という考え方だ。具体的には、その日の気付きをMarkdownファイルに残し、翌日以降のエージェントに再利用させる。同じミスを翌日に繰り返さないようにする。そうすることで、昨日よりも昨日の自分を賢くできる。

もうひとつ印象的だったのが、AIを「Adversarial Network(敵対的なネットワーク)」として使う、という話だ。自分が書いたドキュメントやコードを、AIに敵役としてレビューさせる。「ここで何を見逃した?何が分かっていない?」と問う。AIはどうしても褒めてくれがちなので、わざわざ「Don't be nice!(優しくしないでくれ)」と注文する。

これは、Cognitive Debt(認知的負債)やCognitive Surrender(認知的降伏)—— 思考をAIに明け渡してしまう状態 —— に抵抗する実践として、とても良い。AIに降伏するのではなく、AIと対峙し続ける。そういう姿勢を、エージェンティックコーディングの第一線にいる彼が日々実装しているのだ。

人類はまだ、革命を起こしていない領域を山ほど抱えている

ここまでの話は、私の中の悲観を、ソフトウェア開発内側から組み直してくれるものだった。一方、Demis Hassabis(DeepMind 共同創業者・CEO)はまた別の形で私の視野を広げてくれた。

二日目のDialogues Stageで彼のセッション「A new era of discovery: AI and the frontiers of science with Demis Hassabis」があった。AIがどう科学の最前線を押し広げているかを語る内容だ。残念ながら別の予定もあって、私は一部しか聴けなかった。が、そのほんの一部が、初日のモヤモヤ感を一掃した。

Demisの指摘は単純だ。人類はまだ、解決できていない領域を山ほど抱えている。創薬、医療、基礎科学。AIですら、まだそこに革命を起こせていない。

これは、私にとって大きな視点の補正だった。私自身が経験してきたミニコンから(当時はおもちゃみたいに言われることもあった)パソコンへのシフトも、WindowsからWebへのシフトも、当時はアイデンティティの問い直しだった。ウェブアプリも、スマートフォンアプリも、私たちはそれぞれ「新しいもの」を作ってきたつもりだ。が、もっと大きな視座で見れば、それらは結局、既存領域の中の再発明だった。構造的にはマイナーチェンジに過ぎない。AIはその「再発明」の速度を凄まじく上げてしまった。その意味で、私たちが過去にやってきた仕事は、AIに圧倒される側に立たされる。

それでも、人類がまだ本当に手を付けていない領域には、革命を起こせる余地が膨大に残っている。

同日、WIRED.jpにWill KnightによるDemisのインタビュー記事も掲載された(デミス・ハサビス、AI時代の“開発者不要論”に異議 | WIRED.jp)。そこで彼は、開発者不要論にこう反論している。

なぜみんな、そんなことを確信したように語っているのか、わたしにはまったくわかりません。

もしエンジニアの生産性が3倍、4倍になるのであれば、単純に3倍、4倍のことをやりたいだけです。

創薬研究からゲーム開発まで、まだやりたいことが山ほどあります。そうした(新規)プロジェクトに振り向けられるエンジニアが増えるなら、大歓迎です。

まさにこれだ。そう思った。フロンティア領域にもっと踏み出せるはずだ。

DevelopmentからResearchへ

そう考えると、「開発者は不要になるのか」という問いの立て方は、間違っている。問うべきは、開発者の重心がどこに移るのか、だ。

私は一時、R&Dという組織にいたことがある。その際、いや、Rなんかほとんどやっていないから、Rは小文字で良いんじゃない? とか自虐的に言っていた。

ただ、本来ならば、今の多くの開発の仕事にも、多少のRの要素は入っているはずだ。だが、これまでの私たちは、ずっとDの側、つまりDevelopmentの側に重心を置いてきた。要件を読み解き、構造に落とし込み、検証し、保守する。もちろん、単なる翻訳作業ではなかった。それなりに頭は使ってきたつもりだ。ただ、敢えて言うならば ― 私自身ずっと否定してきた言い方ではあるが ― これらをまとめて、広義でのコードへの翻訳作業と呼んでしまうこともできなくはなかった。

これから増えるのは、Rの比重だ。Research。といっても、研究室でやるような純粋なResearchとは違っても良い。論文執筆や学会発表が必須でなくても良い。どんなDevelopmentにも、先ほども書いたように、もともとResearchの要素は多少混じっていた。新しい問題に直面したとき、何が問題かを定義し、仮説を立て、解法を試す。それが「Dの作業」のなかに溶け込んで、意識されてこなかっただけだ。これからは、そのR比率を意識的に高めていく。

先に「ベストプラクティスがない時代」の章で書いたとおり、新しい領域はいくらでも生まれる。AIエージェント前提の開発基盤、新しいセキュリティ脅威への対応、まだ誰も触れていない応用領域。常に新しい領域を切り開くのが、人間の仕事になる。会場で立ち話していた開発者たちも、同じ話で意見が一致した。だから、開発者には終わりがない、というのだ。

もちろん、人間が切り開いたResearch領域も、いずれはAIに置き換えられていく。やり方が固まれば、AIはそれを覚え、再現する側に回る。そうしたら、人間はまた次の領域に踏み出す。イタチごっこだ。自転車操業と言ってもいい。きつい話には違いない。

だが、これは人間がずっとやってきたことの延長線上にある。新しいやり方を見つけた人は、それを他の人にも使えるようにし、自分はまた次の、まだ誰もやり方を持っていない領域に進む。私たちはずっと、そうやって「誰でもできるもの」のラインを上に引き直してきた。今回もそれが起きている、というだけだ。

この「開発者には終わりがない」という見立てに、私は半分同意していた。「半分」と言うのは、すべての人がそれに向くわけではない、ということだ。Researchを楽しめる人と、できれば触れたくない人がいる。これは個人の性質の問題だ。移行は均一には進まない。

昨日のモヤモヤへの応答

昨日の記事を、私は「明確な答えを持っていない」「モヤモヤしたまま書いておく」と結んだ。

二日目を終えても、明確な答えは持っていない。だが、輪郭はずいぶん見えた。

その輪郭は、「もう開発者は要らない」でも「みんなが楽になる」でもない。役割が変わるのだ。Addyが口にしたとおり、それは100パーセントのアイデンティティシフトで、メンタルモデルのシフトだ。20年コードを書いてきた人間にとっては、正直きついのだろう。だが、その向こう側にあるのは、ベストプラクティスがない領域を切り開くResearcherとしてのエンジニアだ。大変だが、たぶん楽しい仕事だ。

昨日、私は「祭典の意味が変わってしまうのではないか」と書いた。今日、それを少しだけ書き直したい。祭典の意味は変わる。だが、終わるわけではない。別の意味の祭典になるのだ。会場で無邪気に記念撮影をしていた人たちも、アイデンティティのシフトの苦痛を越えて、新しい祭典の主役であり続けるのだろう。

年齢も年齢だが、相変わらず、私は変化は好きだ。弱気になってフルボッコされたから言うわけではないが。

*1:迂闊に個人の感想も言えないのか