プロダクトと宗教の危険な関係

プロダクトは宗教である。

Emacsvim、各種プログラミング言語などの例でもわかるように、プロダクトは宗教だ。各宗教や宗派に属するものが自らの信じるものを他者に広める。

 昔話

筆者が20代を過ごしたDEC (Digital Equipment Corporation) という会社はVMSという自社OSが主力プロダクトだった。VAXというプロセッサーと合わせて、あらゆる規模のシステムにも同一アーキテクチャで展開できるその柔軟性や分散処理に優れている点などが支持され、一時はIBMに次ぐ世界2位のシェアを誇った。

しかし、やがてオープンスタンダードによるマルチベンダープロダクト間のインターオペラビリティが求められるようになる。標準化団体による標準化が進むも、実績にまさるUNIXTCP/IPデファクトとして普及する。

そのように時代が動き始めたとき、社内で起きていた議論が次のようなものだ。

VMS派「お客様がUNIXTCP/IPが欲しいと言っていても、お客様は何が本当に必要か理解していない。より技術的にも優れているVMSとDECnet*1をお勧めするべきだ」

UNIX派「それは、蕎麦が欲しいと言っているお客様にうどんを出すようなものだ(* DECもUNIX製品は持っていた)」

歴史はUNIXに味方した。UNIXは科学技術計算だけでなく、一般企業の業務システムのサーバーとしても使われるようになる。

この例は、VMSという宗教を信じる者がUNIXという宗教を信じている者に改宗を迫り、失敗したという話だ。

その後の歴史を見る限り、VMSは邪教と言われても仕方ないのかもしれない。だが、中にいたものとして、あれを邪教とは呼ばせたくない。たとえ、行き過ぎた勧誘(営業)活動があったとしても、そのときは本当に正しいことだと信じていた。信じるに足る理由があった。

しかし、世の中、本当に何が正しいかはわからない。宗教がそうであるように。

私ごとになるが、その後、筆者はWindowsに魅了される。最初はおもちゃと言われていたOSであったが、そこに未来を見た。1日に1度リブートをしなければいけないとなじられても、将来の可能性を信じた。

Windowsはその後、ミッションクリティカルなシステムにも使われるようになった*2

このWindows邪教だろうか。Windowsに対しては一族郎党皆殺しにされたかのように毛嫌う人がいまだに多くいることを考えると、Windowsさえなければと思っている人も少なくないのだろう。しかし、そのような人であっても、Windowsが社会に与えた影響を考えると完全には否定できないだろう。

 伝道と勧誘

自社技術を啓蒙する技術スタッフのことをエバンジェリストと呼ぶことを考えても、プロダクトは多分に宗教的である。

また、AARRR (Acquisition, Activation, Retention, Referal, Revenue) モデルにReferal=紹介があることからもわかるように、今日のプロダクトでは利用者によるバイラル効果を生み出すことがユーザー獲得の重要な手法だ。信者獲得と同じであろう。

このように、宗教が人類に必要とされるのと同じく、宗教と同じように人を引きつけるプロダクトは社会に不可欠だ。しかし、時として過激な教義を持つ宗教が社会問題化するように、プロダクトへの過剰な盲目的な信仰心は害をもたらすことがある。

 戦争ではなく

宗教との類似点は数多くあれど、プロダクトの場合は宗教が持つ負の側面を持たないようにすることができる。

宗教の中には、他宗教の存在を認めない教義を持つものがある。プロダクトで言うならば、他プロダクトを認めないということだ。競合を否定することで自らの優位性を訴えることだ。

しかし、プロダクトの目指すべきものは、競合を打ち負かすことではなく、結果的にそうなるにせよ、プロダクトを使うユーザーへの価値を最大化することだ。ユーザーの課題を解決することだ。攻撃の源泉である怒りは競合に向けるのではなく、ユーザー課題に向ける。これを守れれば宗教の持つ負の要素を排除することができる。

プロダクトづくりを行うものは、類似性を持つ宗教と同じ過ちを侵さない努力は必要だろう。

美味しいお店

以前、JR中央線沿線の小洒落た和食居酒屋に以前訪れたことがある。飲み物は何を飲むかと聞かれたので、焼酎が好きな筆者は焼酎をお願いした。すると、何を飲むかと聞いてきたにも関わらず、「任せてもらって良いですか」と店主は言ってきた。良くわからぬままお任せすると出てきたのは日本酒だった。食事もお任せしていたので、その後の料理に合わせてペアリングされた日本酒が最後まで続いた。

焼酎を好み、普段あまり日本酒を飲むことがなかった筆者であったが、美味しく頂け、その夜は大変満足した。日本酒も悪くないと思った。

所変わって墨田区。元は豚肉が売りだったので、店名もそれにちなんだものとなっているが、今は牛肉の焼肉屋。これが美味しい。豚を食べるつもりで入って、牛を食べさせられても、ここだったら大満足だろう。

この2例から考えるに、蕎麦を求める客にうどんを食べさせること自体が絶対に悪だということはないのかもしれない。ただし、客が満足するのならば。

筆者のいたDECはうどんを売ったことで失敗したのではない。そのうどんで客を満足させられなかったから失敗したのだ。

*1:DECのネットワーク体系

*2:Datacenter Editionが日本でも地銀やネット証券などに使われるようになった