ウチは“デジタル企業じゃない”という言い訳が通用する時代は終わった──企業のデジタル化4類型

「うちはプロダクト企業じゃないし」「デジタル企業でもないから」。──そんな言葉を耳にするたびに、私は引っかかりを覚える。

そう語る経営者やマネージャーに、これまで何度となく出会ってきた。

講演やクライアントへの支援の場で、私の出身企業であるGoogleやMicrosoftの話をすると、「うちはそういう会社じゃないから」と返されることがある。

その気持ちはよくわかる。だが、「自分たちとは違う」とラベルを貼ってしまうことで、実は大切な思考が止まってしまってはいないか。

そのままで、本当にいいのだろうか?

気がつけば、業界の常識を打ち破るようなプロダクトが次々と登場している。

移動を変えたUber、宿泊を変えたAirbnb、金融の常識を変えたSquareやStripe。彼らは最初から「デジタル企業であること」を前提にしている。

また、アナログな業務の最適化を支えるSalesforceやSlackのような存在もあれば、ユニクロがリアル店舗中心の小売から、ITを活用したサプライチェーンと顧客体験の変革を実現したような例もある。

その一方で、「うちは違う」と言っていた企業の多くは、じわじわと存在感を失っている。

ここで、私は声を大にして言いたい。「デジタル企業じゃない企業」など、もはや存在しないのだ。

このような現実に直面する中で、企業のあり方をどう捉え直せばよいのか?

今回は、その手がかりとして「企業のデジタル化4類型」というフレームワークを紹介したい。

なお、ここで対象としているのは、いわゆるIT企業ではない。製造業、小売業、金融、インフラ、サービス業など、主に非IT産業に属する一般の事業会社を念頭に置いている。

なぜそれが問題なのか

「うちはデジタル企業じゃない」。そう思っている時点で、もう危ない。

変化を「自分ごと」にできない企業から、静かに退場していく。

顧客はとっくにデジタルに慣れている。意思決定も購買行動も、スマホとクラウドの上で動いている。なのに提供する側が「昔ながらのやり方で十分」と思っていたら、選ばれる理由はなくなる。

行政の指示を待ち、前例が出るまで様子を見る——そんな“お作法”の間に、競合はもう次の価値を提供している。

デジタル化とは、単なる効率化やシステム導入の話ではない。価値の再設計、顧客体験の作り直しだ。

「自分たちは関係ない」と思っている企業こそ、最も危うい。

覚悟のないところから、顧客は静かに離れていく。

しかもこれは、1社の話では終わらない。日本の場合、「ウチだけ出遅れても何とかなる」という空気が蔓延している。だが横並び文化と護送船団方式が支配するこの国では、1社の停滞が業界全体を巻き込み、産業全体の進化を止めてしまう。

そしてその結果、日本という国そのものが、世界の競争から取り残されていく。

変わらないことが、最大のリスクになる時代だ。

4つの企業類型で考える

すべての企業は、いま何らかの形でデジタルと向き合っている。

しかし、その関わり方には大きな違いがある。

その違いを整理するために、「企業のデジタル化」を4つの類型に分けてみよう。

類型 説明
アナログ遺産 デジタル化に踏み出せず、旧態依然としたビジネスを続けている企業。市場変化に対応できず、衰退のリスクが高い。例:Blockbuster、Tower Records。
デジタル支援者 他社の業務やサービスをデジタルで支援する企業。例:Salesforce、Slack、Google、freee。
デジタル変革者 元はITを中核にしていなかった企業が、自らのビジネスモデルや価値提供をデジタルで変革。例:ユニクロ(店舗→店舗+オンライン)、ネットフリックス(DVD→配信)、IKEA(店舗体験と物流をデジタルで強化)。
デジタル創造者 デジタル技術を前提に、新しい市場構造や価値交換モデルを創出した企業。例:Uber、Airbnb、Shopify、メルカリ。

 

それぞれの類型は、デジタルとの向き合い方によって決まる。

まず、最も深刻なのが「アナログ遺産」だ。

デジタル化に背を向け、過去のやり方に固執したままの企業。変化を恐れ、「今までうまくいっていたから」と言って手を打たない。

だが市場は容赦ない。顧客はすでに別の体験に慣れている。そんな中で「変わらない」ことは、選ばれないことを意味する。かつて隆盛を誇ったBlockbusterやTower Recordsは、まさにその象徴だ。デジタル配信という流れに乗り遅れ、あっという間に市場から姿を消した。これは過去の話ではない。いま日本でも、同じことが静かに進行している。

一方、「デジタル支援者」は、他社の変化を後押しする側にいる。

クラウド、SaaS、AIといったテクノロジーを武器に、企業や個人の生産性を高める存在だ。SalesforceやSlack、Googleなどがその代表例であり、彼ら自身が“使われるプロダクト”であることで価値を生んでいる。

「デジタル変革者」は、自らが変わる道を選んだ企業だ。

もともとITとは縁遠かった業種が、デジタルの力でビジネスモデルや顧客体験を再構築している。ユニクロのように、リアル店舗を軸にしながらもサプライチェーンや在庫管理、マーケティング戦略など、業務全体をデジタルで再構築している企業が好例だ。

これは単なる顧客体験の話だけではない。原価率の改善、需給の精度向上、グローバル展開の柔軟性──そうした“見えない部分”でこそ、デジタルの破壊力は真価を発揮する。

そして「デジタル創造者」は、そもそもゼロから新しい産業や価値を創り出す存在。

彼らは最初から“デジタルであること”を前提に設計されている。

Uber、Airbnb、Shopify、メルカリ──彼らは既存の業界構造を飛び越え、新たなルールを作ってきた。

たとえリアルなモノを扱っていても、デジタルを前提とした価値提供をしていれば、それは“デジタル企業”だ。

逆に、業務にITツールを少し導入しただけで「うちはDXできている」と満足しているなら、それは単なるデジタルごっこでしかない。

もちろん、実際の企業はこの4つにきれいに分類できるわけではない。 多くの企業は、複数の側面を持ち、状況や部門ごとにグラデーションのように揺れている。 たとえば、既存事業は「変革者」だが、新規事業では「創造者」を目指しているといったケースもある。 そして、どこを目指すべきだろうか?

なお、「デジタル創造者」は理想的に見える一方で、当然ながらリスクも大きい。

既存のルールが通用しない領域で価値を生み出すには、技術だけでなく仮説検証力、資金力、実行スピードのすべてが問われる。

ゼロから市場を創るというのは、それだけ難易度が高く、失敗もつきものだ。

だが、それでも挑む価値がある。なぜなら、今後の成長市場は、既存の延長線上ではなく、創造によってしか生まれないからだ。

新規事業では“デジタル創造者”しかありえない

この4つの類型は、企業の現在地を示すだけではない。

特に重要なのは、新たな事業や市場に挑むときに、どの類型として振る舞えるかという点だ。

結論から言おう。

新規事業においては、「デジタル創造者」でなければ生き残れない。
なぜなら、新しい市場は不確実性が高く、既存のルールが通用しないからだ。

従来の延長線上にあるアナログな業務プロセスや価値の届け方では、スピードでもコストでも太刀打ちできない。

新しい顧客価値をゼロから定義し、それを最短距離で届ける手段として、デジタル技術は“前提”として組み込まれていなければならない。

業務の一部にITを取り入れるだけの“支援者的発想”や、古い構造を前提とした“変革者的アプローチ”では、新規領域では通用しないのだ。

もちろん、既存の企業がすぐに創造者になれるわけではない。

だが、新しい事業を立ち上げるなら、そのチームは最初からデジタル創造者として設計する覚悟が必要だ。

新規領域において「アナログ前提」の思考は、最初から敗北を意味する。もはや、変化の中で“デジタルを使うかどうか”を議論している余地はない。

新しい価値をつくりたいなら、まず自らが「デジタルである」ことを前提にするしかないのだ。

※もちろん、実務の現場ではもう少しグラデーションがある。既存企業が新規事業を始める際、まずは内部アセットを活かして変革者的に踏み出すケースや、創造者を支える汎用インフラとして支援者的に機能するケースもある。だが、それはあくまで“通過点”であり、主役になりたければ、最終的には創造者としての設計思想が不可欠になる。

デジタル企業である自覚を持とう

もはや、「デジタル企業になる/ならない」というのは選択の問題ではない。

どんな業種であっても、いまこの瞬間に問われているのは、“デジタルの力で何を生み出せるか”ということだ。

まずは、自分たちの企業がどの類型にいるのかを見極めてほしい。

そして、次の進化のステップを意識してほしい。

「うちはデジタル企業じゃないから」と言う前に、 自社が“価値を提供する仕組み”として、どれだけデジタルを活用できているかを問い直してほしい。

 

生成AI時代の人間の創造性とは

スピッツの「美しい鰭」は、映画『名探偵コナン 黒鉄の魚影』の主題歌としても知られる有名な楽曲だ。私も好きなスピッツの楽曲の1つで、リリース当初から何度も耳にしていた。


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ご存知のように、この曲のAメロは変拍子だ。私は学生時代にバンド活動に打ち込んでいたこともあり、8分の7が2小節続くという構造にも自然と気づいた。

流れるようなメロディーと草野マサムネの優しい歌声がいつも通り響く。しかし、その調和の中に、明確なリズムの「ずれ」が存在している。その違和感は不協和音とはならず、むしろ聴く者の心を捉える魅力として際立ってくる。

ふと思った。この変拍子のアイデアを、果たして生成AIは生み出せるだろうか?

もちろん、スピッツっぽい曲調を生成AIに頼むことは可能だ。実際、「スピッツ風のギターポップを作って」と指示すれば、それらしいコード進行やメロディを出力することはできるだろう。

だが、あのAメロのように「スピッツの文脈の中で変拍子を入れる」という判断が、AIに可能だろうか? 変拍子はスピッツの中でも珍しく、過去のデータだけを参照していれば、選ばれない構造だ。そこには明らかに、人間の「今回はこれがいい」と判断する意思が介在している。

そう考えたとき、もう一つ思い浮かんだのがピカソだ。彼もまた、文脈を逸脱した創造によって、美の定義そのものを書き換えた人物だ。

青の時代を経て、ピカソはキュビズムという新しい表現に辿り着いた。写実性や遠近法といった当時の常識から離れ、複数の視点や時間軸を1枚の画面に描き込むという構図。初めは理解されず、しばしば否定的に受け止められた。

これもまた、生成AIにできるだろうか?

過去を学び、その平均や傾向を予測する仕組みに、「逸脱を選ぶ意思」や「既存の文脈を壊す勇気」は宿るのか──そんな疑問が浮かんできた。

この問いは、単なる技術比較ではない。「人間の創造性とは何か?」という根源的な問題に、生成AIという鏡を通じて改めて向き合うための入り口であろう。

AIの創造は“予測”である

生成AIは、過去の膨大なデータを学習し、そのパターンから「もっともらしい」ものを生成する技術だ。そこには、明確な構造がある。たとえば言語モデルであれば、次にくる単語や文脈を統計的に予測し、画像生成AIであれば、過去に“美しい”とされた構図や色合いを再構成する。

ここにおいて、AIが出力する創作物の方向性を決定づけるのが「目的関数」である。最終的に「これは良い」と評価されるような出力を目指して、AIは学習を繰り返す。その目的関数は、しばしば「過去に高評価を得たかどうか」「大量のユーザーに好まれたかどうか」といった外的な要因に依存している。

言い換えれば、AIにとっての創造とは「過去の評価をもとに未来を予測すること」である。そこには確かに効率や再現性はあるが、“逸脱”や“ずらし”は自然には含まれない。

ここで、スピッツの「美しい鰭」のAメロに戻ろう。過去のスピッツの楽曲の多くが四分の四拍子であることを考えれば、生成AIが“スピッツ風の楽曲”を出力しようとしたとき、変拍子のAメロが選ばれる可能性は極めて低い。過去データに最適化される限り、それは“正解”ではないからだ。

同じように、ピカソのキュビズムも、当時の美術界における「良い絵」「上手い絵」の定義からすれば、あまりにも逸脱していた。つまり、それは“評価されにくい”出力であり、AIの目的関数に従えば生まれにくい構図だった。

もちろん、AIでも変拍子の楽曲やキュビズム風の画像を「偶然」生成することはあるかもしれない。だが、それを「良い」と判断して採用し、提示するためには、“過去の評価軸”ではなく、“別の軸”が必要になる。

そして、まさにそこに人間の意思がある。いま評価されないかもしれないが、自分はこれが面白いと思う、良いと思う──その判断を下す主体。それこそが、創造性の根幹ではないか。

AIの出力は確率的な「もっともらしさ」である一方、人間の創造性は確率の外にある“選択”ではないだろうか。

評価関数(社会の目的関数)と個人の目的関数のずれ

すでに説明したように、生成AIが過去のパターンに最適化された出力を行う以上、そこには「何を良しとするか」を定める関数、すなわち“目的関数”が存在する。そしてその目的関数は、多くの場合、「社会的に評価されたもの」に依存している*1

ここでは便宜的に、社会的な評価基準を「評価関数=社会の目的関数」と呼び、創り手自身が信じる価値基準を「個人の目的関数」として使い分けることにする。

この二つの目的関数は、しばしば一致しない。むしろ創造の初期段階においては、ずれていることの方が自然であり、健全ですらある。

現代のデジタル社会では、この“社会の目的関数”が、しばしばネット上でのインプレッション数やエンゲージメント率といった短期的な指標に置き換えられている。とりわけマーケティングや広告の分野では、「多くの人に届いたか」「バズったか」が評価の中心に据えられがちだ。

しかし、そのような指標に最適化されたクリエイティブは、必ずしも本質的な創造性を伴わない。むしろ、すでに確立された表現様式やテンプレートに寄りかかった“模倣”や“最適化”に留まりやすい。

だからこそ今、創り手に求められるのは、短期的な承認や反応に惑わされず、自らの目的関数に忠実であり続ける姿勢である。

たとえば、ゴッホは生前にほとんど評価されなかった*2。彼の個人の目的関数は、色彩に心理的・道徳的な重みを込め、人間の情熱や内面の苦悩、自然の本質を独自の手法で表現することにあった。それは、当時の社会が良しとしていた穏当で写実的なスタイルとは大きく異なっていた。

当時の主流は印象派に代表される穏やかな表現だった。ゴッホのように強い感情を込めた筆致、鮮烈な色彩、激しい構図は、画商や批評家にとっては“逸脱”と見なされ、評価の対象にはなりにくかった。

しかし彼の死後、20世紀に入り現代美術が発展していく中で、ゴッホの作品はその先駆けとして再評価されるようになった。つまり、当初は評価されなかった個人の目的関数が、時間を経て社会の目的関数と一致するようになったということである。

現代のデザインの分野においても、同じことが起きている。2013年、AppleはiOS 7で従来のスキューモーフィズムを捨て、フラットデザインに大転換した。立体感を廃したそのビジュアルは、「のっぺりしていて押しづらい」「ユーザビリティを損なう」と批判された。

Microsoftもその1年前にWindows 8で「Metro UI」を導入していたが、こちらもまた市場からの反発が強かった。だが、結果的にはWebやモバイルのUIにおいて、フラットデザインが標準的な選択肢となった。

ここでも、評価関数(社会の目的関数)──「操作しやすさ」や「視覚的親しみやすさ」といった評価基準が、「多デバイス対応」や「レスポンシブ性」「タイポグラフィ重視」などへと、時間とともに書き換わっていったことがわかる。

創造とは、必ずしも“今”の社会に評価されるために行うものではない。個人が持つ目的関数と、評価関数(社会の目的関数)が一時的にずれていても、未来の社会がその価値を受け止める可能性はある。

むしろ、創造の本質はその“ずれ”を恐れないところにあるのではないか。

創造とは目的関数の再設計である

生成AIは、「今あるもの」の延長線上に「次にありそうなもの」を描く。

だが、本当に創造的なものは、「次にあるべきもの」を選び取ることでしか生まれない。そこには、単なる予測を超えた“意志”がある。

それは目的関数の再設計に他ならない。今の評価基準をそのまま受け入れるのではなく、別の基準を自ら立てる。たとえ現時点で評価されなくとも、自分の中にある「良さ」を信じて表現する。そうした行為こそが創造なのだ。

この視点で見ると、創造とは本質的に「不整合」と向き合う営みである。

社会の目的関数と個人の目的関数が重なる瞬間ばかりではない。むしろ、最初は重ならないことの方が多い。

だからこそ、創造には勇気が必要になる。誰にも理解されない可能性を抱えながらも、自分の判断を信じて進む。そのプロセスにこそ、人間の創造性の源泉がある。
では、そのような“意志ある目的関数”をどのように持ち得るのか?

それには、次のような複合的な姿勢が必要だ。

  • 現在の評価軸を相対化する視点:今評価されているものが絶対ではないと知る
  • 中長期の視点を持つ構え:短期の反応に一喜一憂せず、時間とともに評価が変化しうることを理解する
  • 問いを持ち続ける習慣:「なぜこれが良いとされるのか?」という問いを繰り返す
  • リスクを取る意志:今の正解を一度手放す勇気を持つ

加えて、「ずれ」を育てる環境も重要だ。常に正解を求める場では、目的関数を再設計するような創造は生まれにくい。安全圏を外れて考える余白、違和感に立ち止まる時間、評価されないことを恐れない文化──そういったものが支えになる。

AIが過去の評価から「正解らしきもの」を導く存在であるならば、人間は「正解を壊してでも、意味を見出す存在」であるべきだ。

創造とは、まだ評価されない何かに対して「これは面白い」と言える勇気。

そしてその判断に、世界がいつか追いついてくるかもしれないと信じる信念である。
生成AIの出現は、人間の創造性の定義を再考させる契機となった。しかし、これは創造の終焉を意味するものではない。むしろ、表現にかかるコストが劇的に下がったことで、私たちは「何のために創るのか」という本質的な問いに、これまで以上に深く向き合う時代を迎えていると言えるだろう。

過去の最適解としての“正しさ”ではなく、まだ評価の定まらない“面白さ”をあえて選び取る──そのような選択こそが、生成AI時代における人間の創造性を示すものとなるのではないか。

【2025/05/19追記】

続編はこちら。

takoratta.hatenablog.com

*1:ここでは「目的関数(Objective Function)」という用語を、機械学習における数学的定義とはやや異なる、広義の意味で用いている。厳密には、生成AIの学習には交差エントロピーや平均二乗誤差などの損失関数が使われ、それらがモデルの出力を最適化する指標となる。しかしここでは、「AIが何を“良いもの”として学習し、どのような出力を目指すように設計されているか」という設計思想や価値判断の枠組みとして、この用語を比喩的に用いている。

*2:生前、彼の作品は1作品しか売れなかったと言われている。

プロダクトマネージャーになりたい人のための本

tl;dr

  • 私が監修した本が出る。
  • 私が顧問をしているクライス&カンパニーという人材紹介会社のキャリアコンサルタントが書いた本である。
  • クライス&カンパニーはここ数年、プロダクトマネージャーの転職支援に注力しており、日本で一番プロダクトマネージャーに詳しいコンサルタントだ。
  • 彼らの書いた本(私も一部協力した)なので、プロダクトマネージャーを目指す人にはお勧め。

* はっきり言って宣伝です m(_ _)m

プロダクトマネジメントが浸透した日本の状況

プロダクトマネジメントやプロダクトマネージャーも日本にだいぶ定着してきたと思う。しかし、まだいくつもの課題がある。なんちゃってプロダクトマネジメントを導入して満足しちゃっている企業が多かったり、プロダクトマネジメントの実践を支援するコーチが少ないことなど。中でも最も大きな課題は受給のバランスだろう。

スタートアップから大企業まで、プロダクト担当者不足に悩むところが多く、どの職種も激しい人材争奪戦が続く。企業によっては、ソフトウェアエンジニアの採用のために海外からのインバウンド採用を始めたり、海外にオフィスを開設したりしている。

そのようなプロダクト人材の中でも、特にプロダクトマネージャーの採用難が続く。まだまだ他職種に比べるとマイナーながら、そもそも日本においてプロダクトマネージャーの認知が広がったのが最近であることもあり、経験者そのものが少ない。しかも、他部署は顧客やパートナーとの高いコミュニケーション能力やビジネスドメイン知識が必要とされることから、ソフトウェアエンジニアのようにインバウンド採用に頼れないところも多く、結果、国内人材市場においてのいびつな需給バランスとなる。

この問題の解決のためには、プロダクトマネージャー人材を増やすしかない。プロダクトマネジメントの周辺職種の人や新社会人にプロダクトマネージャーになってもらうのだ。しかし、すべての職種がそうであるように、企業側から強制的にある職種を目指すように指示するのは得策ではない。あくまでも本人に志向してもらうのが良い。

そのためには、プロダクトマネジメントの重要性やプロダクトマネージャーの魅力を発信するのが必要だが、これは最近かなりできているように思う。Twitterを見ると、プロダクトマネージャーの発信が多く見られる*1

あと必要なのは、具体的にプロダクトマネージャーを目指す方法だ。これにもいくつか方法がある。中でも古典的ではあるが、未だに有効な手法は書籍出版だ。

すでにある良書

今までも世界で闘うプロダクトマネジャーになるための本 ~トップIT企業のPMとして就職する方法~という本があった。これは「世界で戦う」とあるように主に米国企業のプロダクトマネージャーになるための情報が詰まっている。原題の"Cracking the PM Interview"からもわかるように、どのようにして採用インタビューを通過するかに焦点を当てたものであるが、単なるインタビュー対策ではなく、プロダクトマネージャーの本質に迫る良書だ。

しかし、これはあくまでも米国の事情だ。しかも、今から9年前(原著は10年前)の書籍である。やや古い印象は否めない。プロダクトマネージャーは時代によって役割も変わるし、企業によって期待される内容も異なる。日本企業が求めるプロダクトマネージャー像もある*2

クライス&カンパニーをそそのかすに勧めてみる

クライス&カンパニーは私が顧問を務める人材紹介だ。顧問をし始めたころは、技術職の幹部社員の転職支援のような領域で手伝っていた。CTOやVPoEなどだ。その後、私が立ち上げメンバーの一人で、最近まで運営にも携わっていたプロダクトマネージャーカンファレンスのスポンサーを頼んだことから、プロダクトマネージャーの転職支援も開始した。人を右から左に動かすことだけの人材紹介会社も多い中、本当にプロダクトマネージャーの重要性を認識し、この職種が日本に必要との思いからプロダクトマネージャーの転職支援事業を広げてきている。

彼らはすでにNoteやポッドキャストでも積極的に情報を発信しているが、ある定例ミーティングの中で、私が何気なく、「本出せば良いですよ」と言ったことから、書籍企画は始まった。

note.com

podcasters.spotify.com

 

プロダクトマネージャーの転職支援のノウハウが溜まっているので、それをきちんと言語化して、外に出すことが皆さんの使命でしょう。とお話するとともに、書籍は名刺代わりになりますよ! これでリード獲得できますよ!という邪な意見も伝えた。ソフトウェアファーストでのアンチパターンで書いたように、私がそれで騙されて*3、書籍執筆まで、とてつもない産みの苦しみを味わったことは伝えずに、書籍にすると良いことだらけだと背中を押した。

冗談っぽく書いてしまったが、本当に日本で一番ノウハウが溜まっているので、これを発信することは多くの人の役に立つはずだ。出版社もプロダクトマネジメントのすべて 事業戦略・IT開発・UXデザイン・マーケティングからチーム・組織運営まで翔泳社で、編集担当者も同じ人になって頂いた。すべては整った。

書籍というプロダクト

執筆がある程度進んだ段階で原稿を見せてもらった。文章としては整っていても、複数名の執筆者がいる書籍にはありがちであるが、全体の整合性が取れていないところがあった。そもそもどんな読者を想定しているかも不明確で、それがぶれている原因でもあった。

そこで、ペルソナは誰で、そのペルソナにはどうなって欲しいかを明確にしようという提案をした。私がプロダクトマネジメント支援で行っているのと同じアドバイスだ。

それ以外にも「書籍をプロダクト」としてプロダクトマネジメントをしようということで、ありとあらゆる提案をした。最終的にはプロダクト責任者であるクライス&カンパニーのメンバーが決めることであるが、つい執筆を終了させたいという「ビルドトラップ」*4の影が見え隠れする発言があると容赦なく指摘した。

最終的には、私でも、出版社でもなく、彼ら(クライス&カンパニーの執筆者たち)がプロダクト責任者として悩みに悩んで決めた形で、自信を持って世に出せるプロダクトとしての書籍になったことと思う。

日本において望まれていた「プロダクトマネージャーを志す人のため」の書籍。6月14日に発売だ。プロダクトマネージャーが気になる人には是非読んで欲しい。

 

 

*1:個人的にはちょっときらびやかに語られすぎている気がしなくもない

*2:都合良いように解釈して、骨抜きのプロダクトマネージャー像を作ることはまったく良いことではないが

*3:誰も私を騙しておらず、私が勝手に邪な欲望に赴くままに執筆を考えただけというのが真実ではある

*4:プロダクトマネジメント ―ビルドトラップを避け顧客に価値を届けるを参照のこと

Audibleが最近のお気に入りになった

最近、Audibleが気に入っている。

オーディオブックは以前から知人に勧められたりもしていたのだが、聴きながら他のことをするだろうことを考えると、聴き逃すことが多いだろうと予測して、実際に試すことは無かった。

きっかけは年末年始の課題図書だった。

昨年末、支援先の1つの社内イベントでその会社の役員と対談した。イベントは社員の方々にお勧めの本を紹介し合うというものだったが、役員の方が推薦した本の1つが「サピエンス全史」だった。

サピエンス全史については、このイベント以前にも他の方からお勧めだというのは聞いていた。しかし、上下巻合わせて600ページを超えるというボリュームに圧倒されて、読む機会を逸していた。だが、年末年始。時間はたっぷりある。COVID-19もオミクロン株でまた感染拡大が見えており、旅行に行く予定などがあるわけでもない。自分を追い込むにはベストなタイミングだった。

その役員の方や普段良く打ち合わせをしている社員の方々に約束した。年末年始で完読すると。

さっそく、Kindleで購入し読み始めた。確かに面白い。さすがベストセラーになるだけはあると思ったものの、どうにも冗長に感じた。冗長というのはネガティブな言い方だが、豊富な事例や人類の歴史をまるでその当時に戻ったかのようにイメージ豊かに饒舌に語る様が、ビジネス書を読むように結果を性急に求める自分には合わなかった。少し読んでは飽きてしまい、他のことをやり始める。せっかく時間があるのに、このままでは読み終わらない。

焦りを感じ始めたころ、Amazonが絶妙なタイミングでAudibleを勧めてきた。目と耳から読み進めるという戦略に活路を見出すべく、すぐにAudibleで購入して、読み始めた(聴き始めた)。

Amazon オーディオブック audible

最初はどうなることかと思ったが、思いの外頭に入ってくる。当初心配した通り、ボーッとしていて音声が先に流れてしまっていることも多々あったが、大意を掴むには全く問題ない。もし興味があるなら、Kindleで読むか、音声を聴き逃したところまで戻して、また再生すれば良いのだ。聴き逃しても良いと割り切ることで心が楽になり、とにかく先に進めた。

すると面白い現象が起きてきた。

Audibleを聴くために積極的に散歩やランニング、ドライブをするようになったのだ。

リモートワークが中心になった当初、移動が不要になった浮いた時間を仕事で埋めてしまい、すっかりインプット時間が無くなってしまっていた。しかし、その後、不要だったのは通勤電車での移動という苦痛な体験であり、その時間で行えていた仕事以外の体験、特にインプットは残すべきなことに気づいた。これについては私がダイヤモンド・オンラインで持つ連載でも説明している。

diamond.jp

通勤や移動に相当する時間はしっかりと確保し、そこを自分時間としてインプットに活用する。そう考えてからは積極的に散歩をするように心がけていたのだが、しかし寒い。そんなときにAudibleが自分を部屋から引きずり出すモチベーションとなるものとして登場した。

サピエンス全史を聴くために散歩やランニングやドライブをする。それが楽しみとなり、いつしか日課となり、そして無事聴き終えた。

すると、次の書籍をまた聴きたくなった。タイミング良く、1月下旬からはAudibleがAmazon Primeビデオのように聴き放題サービスとなり、12万冊がその対象となったので、その中から気になるものを次から次へと聴いてみた。Kindle Unlimitedと異なり、聴き途中の本が何冊あっても良いようなので、つまみ食いのように色々と聴いた。中には期待外れだったり、難解で途中で聴くのをやめてしまったものもあるが、結構何冊も聴いた。

実は、もう1つのブログで紹介したデールカーネギーの「人を動かす」もAudibleで聴いたものだ。

takuyaoikawa.blogspot.com

「人を動かす」のような古典的な名作や、ベストセラーになっていたけど、読んでいなかった本など、Audibleで聴いてみるというのも良い体験だった。Kindle Unlimited対象となっていないものもAudibleでは無料で聴けるのも多いようだ。

また、夜、なかなか寝付けない*1ときや夜中に起きてしまったとき*2など、以前は良くないとわかっていても、スマホを覗いてしまい、余計に寝れなくなってしまっていたのだが、最近ではこんなときはAudibleを聴くようにしている。こういう寝付けないときは、柔らかい内容の本にするか、逆に思いっきり難解*3にしている。

このように最近すっかりAudibleにはまっている私ではあるが、たまに「読み」が間違っていたり、わかりにくいものがあるのが気になっている。例えば、リーンスタートアップの本で、「配送」って読んでいるが、これは「デリバリー」とカタカナで読むのが正しいはずだ*4。あと、目次がわかりにくく、本をペラペラめくって、あたりをつけて該当箇所だけ読む(聴く)というのがしにくい。しっかりと内容を把握するには、やはり書籍(電子書籍を含む)との併用が必要と感じている。実際、「人を動かす」はそのようにして、Audibleの後に書籍も購入した。

音声メディアにはPodcastなどを以前から注目していたが、オーディオブックもかなり使えるということがわかり、色んな形でのインプットが可能になった。技術の進歩とメディアの多様化に感謝したい。

*1:これでも悩みがあるときもあるのだ

*2:早朝覚醒とか。もう老人なので

*3:自分の興味とかけ離れたもの

*4:おっと、これはオーディオブックの問題ではなく、元の翻訳の問題か

My Newspicks 2016/07/25 - 2016/08/28

1ヶ月分NewspicksNewspicksでコメントしたものから特に気になったもののまとめ)。

それぞれのニュースへのコメントは埋め込んであるリンク先へどうぞ。

PCデポ問題

newspicks.com

PCデポ問題は氷山の一角。契約に関して未成熟な日本社会を感じさせられた。特に、メディアの責任は大きいのではないか。優良企業として番組で紹介されたとも聞く。コメントでは、以前に母が体験した類似のケースも紹介した。

 

newspicks.com

そのメディアの役割を担ったのがライターのヨッピーだった。メディアは猛省すべき。

ちなみに、この件に関しては作り手の立場でも先日ブログを書いた。

 

takoratta.hatenablog.com

プログラミング教育

「次代の教養プログラミング」に関してはすべての記事にコメントした。その後も自分なりに調べたり考えたりしてみている。小学生へのプログラミング教育については、賛成なのだが不安も大きい。実際、教師に教えられるのか、プログラミング教育の授業が追加されるということは授業数が削減される教科があるが、その教科の授業数を削減して大丈夫なのかなどが心配だ。小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ):文部科学省 なども読むなどして、もう少し自分の考えを整理したい。

アダルト産業とIT

newspicks.com

newspicks.com

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どこまで表舞台に出てくるかわからないが、VRやAIなどにより大きなブレークスルーが起きるだろう。AIが人類の脅威になるという議論よりも先にITによる出生率低下を心配しなければいけない未来が来るのではないか。勢いで、アダルトVRで、世界のセックスが変わる! という本も読んでしまった。

リオオリンピック

オリンピックには興奮しまくったが、Newspicksではあまりコメントしなかった。1つ1つコメントしているときりないし、「感動した」以外にはコメントできそうになかったからだが、それでもいくつかは取り上げている。

 

newspicks.com

次の東京オリンピックの話題も出てきていたが、気候は特に気になる。真面目に何か考えないといけないだろう。それと、夏の甲子園。こっちは今のままだといつか死人が出ると思う。

 

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主張することの大事さ。日本はおとなしすぎないか。

 

newspicks.com

今回のオリンピックでは日本人選手のメンタルの強さを感じた。

 

newspicks.com

オリンピックは楽しかったが、運営コストを考えると、分散開催も視野にいれるべきでは。

 

他のPicksは私のNewspicksページヘどうぞ。

newspicks.com