読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

オープンな仕組みで創りあげる世界観

一般

私はここしばらく徹底した「オープン主義者」なのだが、オープンな世界では難しいことがあるのも事実だ。

クローズドな世界では、その世界観は独占された提供者側で創りあげることができる。IT機器を例にとろう。周辺機器やアプリケーションにより機能が拡張される場合でも、卓越したセンスを持つデザイナーが作り上げた美観を損ねずに、一貫した操作性を提供する一連の機能群と互換があるように、拡張を実現することができる。

オープンな世界では、仕様は公開され、誰もが周辺機器やアプリケーションを提供できる。しかし、多様な周辺機器やアプリケーションは必ずしも、提供者側の世界観を理解し、その世界をより良くするものばかりとは限らない。

つまり、オープンな世界とクローズドな世界の違いは、統一された世界観の確保と拡張性(機能だけでなく、マーケット自身の拡大までを含む)の違いでもある。

こう書くと、スマートフォンの市場のことと思うかもしれないが、特にスマートフォンを意識して、書いているのではない。どんなIT機器でも同じだし、ソーシャルメディアであっても同じだ。ソーシャルアプリケーションやソーシャルストリームに流される別アプリケーションからの投稿でそのソーシャルメディアの世界は大きく変わる。TwitterAPIの利用規約の変更はもしかしたらこのようなTwitterの考える世界観の確保というような背景もあるのではないかと思う。

クローズドなアプローチを取ることによって世界観は確保されるが、実はこのような世界観を創りあげられるような企業は限られている。UIやUX、そのほかさまざまなデザインや機能などが、単一企業であっても高い完成度を持ったものにすることは難しく、さらにはビジネス的な成功を考えた場合に、クローズドな状況にも関わらず、その世界観を理解し、市場の拡大に協力する賛同者を多く集めることは難しいからだ。その意味では、Appleというのは極めて特異な企業ではないかと思う。

オープンなアプローチで、世界観の統一と拡張性を共存させるには、まずは自社が提供するその製品やサービスが単体できちんとした世界観を提供できていることと自社が作る周辺機器やアプリケーションなどがその世界観に沿ったものになっていることが大事である。ベストプラクティスとなるものを多く用意することで、フォローワーとなるほか開発者はそれらを参考にする。デザインガイドラインなどの情報も重要だ。

そして何よりも、利用者にも機会あるごとにその世界観を共有する。製品やサービスを使ってもらうことでそれが伝われば完璧だ。利用者自身が周辺機器やアプリケーションを適切に評価し、世界観を守ることができれば、あとは自然とその世界は初期の哲学を守ったまま広がっていくことだろう。