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メタファーが思い浮かばないものは陳腐化した概念なのかもしれない

「文書保存のあのマークは何なの?」の時代へ。思考が停止してしまったUIデザイン (神田 敏晶) - 個人 - Yahoo!ニュース

保存アイコンがフロッピーディスクをメタファーとしていることに違和感を抱く人は多い。いや、違和感ではなく、そもそもこのアイコンが何に由来するか、まったくわからないという人も増えてきているはずだ。

スマートフォンで電話をかけるときにタッチするアイコンもアナログ電話の受話器マークだったりする。

「活気的な新たなメタファーを伝える時には、古いメタファーを再定義し、アナロジーを駆使」しなければならないと神田さんは言う*1

神田さんの記事だけでなく、ネット上でたまに出る話題だ。

では、代わりにどのようなアイコンが良いのか。いろいろとアイデアはあるようだ。また、フロッピーディスクを知らなくとも、すでに多くのソフトウェアで使われており、市民権を得ているから変更する必要はないとの意見もある。

だが、一歩退いて考えてみよう。

今、日常生活の中で「保存」という操作をすることがあるだろうか?

食品を腐らないように、冷蔵庫に「保存」することはあるだろう。だが、これはコンピューターの世界でのファイルの「保存」とは異なる。むしろ、ブックマークなどに近い。

コンピューターの世界での「保存」は、メモリーの内容をハードディスクやSSDに書き出すことだ。そのような仕組みを知らない人にとっては、「保存」という操作の必要性は理解できないだろう。日常生活において、ワードプロセッサーと対比されることの多いノート(手帳)において、書いているものを別操作で一端保持したり、消えないようにするという作業は無い。こと「保存」という操作に関しては、日常生活での操作をコンピューター上で再現したものではなく、コンピューターの仕組み上必要であったものを概念化し、その理解をユーザーに強いたものなのだ。

また、現在、コンピューター上で行う「保存」という名前が付いている操作も、良く見つめなおすと、それは単純な「保存」ではないことも多い。

たとえば、チャットをした相手との会話ログを「保存」したい場合、それは「ログの保存」であって、日常生活で言うならば、もしかしたら板書に近い概念なのかもしれない。

もともとのフロッピーディスクに「保存」するという操作も、ハードディスクが無かった時代には真の「保存」であったが、ハードディスクが一般化してからは、ファイルとして新規「保存」するというよりも、ハードディスク上のファイルを「コピー」するという作業のほうが多かったろう。

ファイル/文書を保存という操作自体、コンピューターの操作としても必要ないケースも多くなっている。短いタイミングで自動保存してくれるソフトウェアならば明示的な「保存」というのは必要ない。間違って書き込んだものによって必要なものが消えてしまう問題点があるかもしれないが、その解決は「保存」という操作をユーザーに強いることによって行うのではなく、ほかの方法で行うべきだ。履歴から復活できるとかアンドゥを使いやすくするなど、アイデアには事欠かない。むしろこれらの操作のほうが直感的なことも多い。

アイコンデザインが本来目的とする「パッと見ただけで何の操作かわかる」という役割を持てなくなってきて、その代わりとなる新しいデザインが思い浮かばないときには、そもそもその操作自身が必要か考えてみると良い。

参照:

*1:カール・ベンツが1885年の時に考えたコピーのときの話