レコメンデーション機能は少し狂っているくらいが面白い

見方によってはちょっとセンシティブかもしれないので、念のため、再度言っておくが、このブログでの発言は私の雇用者には一切関係がない。

とお決まりのDisclaimerを言ったので、本題に入る。

Amazonのおすすめ商品に代表されるようなパーソナライズされたサービスでのリコメンデーションって、完璧ではない。ちょっと一回見ただけのものが履歴に残っているかぎり、その関連商品を進めてくるのはまだ仕組みが理解できるから良いとしても、どうしてこの閲覧/購入履歴から、これがすすめられるのかと思うことも少なくない。

考えようによっては、まだ品質が十分でない、もっと性能を向上すべきだと思われるかもしれない。そのとおり。だが、実は、この微妙な馬鹿さ加減*1が実は人間の視野を広げる役割に貢献している(のかもしれない)。

たとえば、実生活でも、同じドメインの人間とだけ話していると、新しい発見はあまりない。異業種交流会というものを経験したことがないのだが、おそらくそういう場では、普段の自分と異なる嗜好を持った人からのインプットが実は斬新で刺激的で、それにより新しい何かを見つけるのではないだろうか。

システム/サービスでのリコメンデーションも一緒だ。この商品を買っている人はほかにもこの商品を購入していますと言われて、役立つことも多いが、実はその中に、実はまったく関係ない商品が紛れ込んでいたりすると、それが見識を広げることにもつながる。日本テレビの電波少年を担当していた土屋氏もどっかの雑誌で、いわゆる民主主義的な形でのリコメンデーションではなく、作り手の想いを伝える形での推奨というのも大事だということを話していた。いわゆる「みんなの意見は案外正しい」に対するアンチテーゼなのだが、私はなるほどと思った。

リアルワールドでの書店で、平積みになっている推薦図書の中に誰かが間違えておきっぱなしにしておいた本が実はすごい面白かったり、そういう楽しみってリアルワールド書店ではあったと思う。それが実は書店の人の高度なレイアウト術だったりすることもある。

その偶然の発見を助けるのが、ちょっと気が狂ったリコメンデーションシステムではないかと思ったり。

なので、気が狂ったリコメンデーションを見ても、目くじらを立てて怒るのではなく、笑い飛ばして、新たな発見ありがとうとネットワークの向こうのウェブサーバーにお礼を言おう。

*1:特定のサービスのことを言っているわけではない。