他人の心の痛みがわからないやつは他人の上に立てない

これは前の会社の元上司の言葉だ。「だから、結婚しろ。そして、できれば子供を持て」と続く。

妻子持ちでなければ管理者(マネージャ)になれないとは思わないが、この言葉は非常に重い意味を持つ。いくら想像力が豊かでも、他人と生活することの、そして子供を育てることの苦労は、実際に経験してみなければわからないことは確かに多い。

元上司のこの言葉を実践したわけではないが、私は妻子持ちであるし、夫婦共稼ぎの経験もあるので、育児をしながら勤務することの難しさはよくわかる。想像でなく、自身が経験した「痛み」として自分の部下の立場は理解できるつもりだ。

レイヤを超えた共感

話は急に飛ぶ。

一昨日、日経デジタルコアで行われた「ネットの中立性」の議論に参加した。そこでは、ネットワーク事業者とコンテンツ・アプリケーション事業者、そして端末側におけるコスト負担の問題が議論された。議論の中でコメントをさせてもらったが、どうも私には議論が「トラフィックの増加コスト」にばかり集中しているような気がしてならない。トラフィックの増加の問題はたとえばUSENGyaoWinnyにおけるファイル交換など、非常にわかりやすい。だが、トラフィック増加だけがコンテンツ・アプリケーションとネットワークインフラ間の問題ではない。

私が例にあげさせてもらったのが、DNSへの問い合わせの問題だ。会議では、あえてWindows/IEの振る舞いについては取り上げなかった*1。だが、たとえば、Webアクセラレーションの手法として、見ているページからリンクされているページ*2を先読みするために、DNSのリソースレコードの名前解決を並列で行うような実装があったとする*3。この振る舞いは、のんびりとWebをブラウズするときとは明らかに異なるDNSサーバーへの問い合わせを産む。実装次第であるが、極端な話、数倍から10数倍の問い合わせが発生することもあろう。このような振る舞いはインターネットを支えるコアサービスであるDNSインフラへの影響を確実に与える。だが、ユーザーの利便性は確実に高まる。

会議では、もう1つの例として、トラフィックの総量は多くはならないが、ルーティング(経路制御)に負荷を与えるような振る舞いについても取り上げさせてもらった。たとえば、次のような例を考えると良いだろう。RSSリーダー/アグリゲーターは通常数10分に1度程度、RSSフィードが更新されているかを確認する。だが、これを1分に1度やさらにそれ以上の頻度で行ったとしたらどうだろう。もしこのような機能が広く使われるアプリケーション−たとえばWindowsの次のバージョンに搭載されていたとしたら、ルーターに与える影響は馬鹿にならないのではないだろうか。

このように、ネットワークのコアサービスへの負荷とユーザーの利便性はトレードオフの関係にある。残念なことに、ネットワークインフラを支える側は自分たちの都合でしか考えることができないことも多いし、コンテンツ・アプリケーション提供者はネットインフラへの本当の影響を理解することができないことも多い*4

垂直統合型のイノベーションが評価されるのも、このような背景があるのではないだろうか。

会議において、私は「ネットワークインフラ側でどこまでのコンテンツ・アプリケーションの振る舞いが正常な振る舞いとして許容されるかのコンセンサス作りが求められているのではないだろうか」と問題提起させてもらった。果たしてどこまで理解してもらえただろう。

今、ネットの中立性の議論において必要となるのは、ネットインフラとコンテンツ・アプリケーション、さらに端末、と異なるレイヤをまたがる共感ではないだろうか。

「他人の心の痛みがわからないやつは他人の上にはたてない」。

これは「インフラ管理の痛みがわからないやつにそれを利用するアプリケーションの設計はできない」または「アプリケーション設計の痛みがわからないやつにそれを支えるインフラの管理はできない」と言い換えられるのかもしれない。

*1:[http://www.janog.gr.jp/meeting/janog18/program-abstract.html#P1:title=JANOG18 Meetingで話す予定のため]

*2:さらにその先のリンクされているページなど

*3:実際にこのような実装はある

*4:「多い」というのは主観的な意見であるし、必ずしも全部が全部そうだとは言っていない