手段が目的となるとき

時として、利用すべき手段が目的と化してしまうことがある。たとえば、IT技術の導入などでもそのような例が見られる。業務上のプロセスの改善などが目的であったのにも関わらず、いつの間にか目的がIT技術導入自身になってしまう。そのような話だ。

一般企業のIT戦略だけではなく、社会を支える基幹システムや基盤技術でも同じように感じることがある。

昨今話題のNGNもその1つだ。伝統的な電話網をIP網をベースに作り直すことで、サービス品質を確保し、信頼性も高いものとするというNGNのコンセプトは理解できるが、これはプロダクトアウトの考えではないか。ユーザーは、たとえば安価で高品質のVoIPを求めているのであって、それを実現するための手段は問わない。冗長性を高めることでスケーラブルで信頼性の高いVoIPがベストエフォートベースのインターネットで実現可能だとして、それを通信事業者は推進できないだろう。IP網で交換機ベースの電話網を置き換えるというのが目的化してしまっているのではないか。

断っておくが、前職のときにNGNについていろいろ調査してからは、伝え聞くレベルでしかNGNを理解していない。そのため、私の理解に不足があったり、そもそも誤解がある可能性はある。なら、NGNを例に出すのは適切ではないだろうって? ごもっとも。

では、OSを例にしよう。OSの肥大化は止まることを知らない。ついこの間まではアプリケーションと呼ばれていた機能がOSに組み込まれる。ユーザーが標準でその機能を必要としているからという。正しい。ユーザーは常に新しい機能を標準で利用できる状態にあることを希望するだろう。だが、ユーザーは「その機能を大きな手間なく使える」ことが目的なのであって、それをOSに組み込むというのはあくまでも手段に過ぎない。OSを肥大化させるのは、OSを肥大化させたいベンダー側のプロダクトアウトの発想だ。

こう書くと、「ついこの間までと言っていることが違うじゃないか」と言われそうだ。確かに、立場が違うと言うことまで違ってくるかもしれない。宗旨替えしたか? そう言われても仕方ないかもしれない。だが、Windowsを始めとするOSの重要性は理解しつつも、もう少しネットワークサービスを柔軟に取り込む形でのOSの発展というのはあるのではないかと最近常に考える。いわゆるWebOSという形態か。これについては今回の主旨と違うので、また機会を改めて書くとする。

今回、言いたいのは、目的と手段がごっちゃになっているケースが結構あるのではないかということ。ユーザーの目的を実現するのにどのような手段がベストか。インフラを提供する側は常に意識しておくべきだろう。自戒を込めて。