フォローしてくださいという論理の裏側
Twitterでフォローしていただいている方から、たまに「フォローお願いします」と言われることがある。主にネット上でだが、実際にお会いしたときに言われることも珍しくない。
私も以前はフォローした友人や知人に「フォローし返してくださいよ」とお願いしていたことがある。だが、ふと自分のTwitterの使い方を見ると、フォローしているからといってその人のTweetsを全部見ているわけではないし、逆にフォローしていなくても、ほぼすべてのTweetsを見ている人がいることに気づいた。また、フォローしてもらっても、私のTweetsが彼/彼女の趣味に合わなければ、TLを汚すようなことになれば、アンフォローされてしまう。実際にそのようなことが何回かあった。結果、もうかなり前からフォローして欲しいとお願いすることは止めた。
フォローしてもらうことによる利点は、
- DMが出来る
- その人のTL上に自分のTweetsが現れることになるので、意見を伝えることが出来る/コメントをもらうことが出来る可能性がある
- その人が有名人であった場合には、その有名人からフォローされているということがステイタスになる。さらなるフォローワーの増加を期待できる
というところだろうか。ただ、DMなんてめったにしないし、誰からフォローされているかとかフォローワー数が多いのがステイタスだと考えている人はそう多くはないだろうから、突き詰めるとその人のTLに含まれたいということがフォローしてもらうことの唯一の利点となるのだろう。
ただ、フォロー数がある一定数*1を超えると、もはやTLですべてを追うのは不可能になる。そのときのTLはあくまでも自分の近隣のネット空間のスナップショットを見るだけであり、過去にさかのぼってすべてのTLを読むようなことはしない。蛇足になるが、その意味で、Twitterクライアントによっては用意されているTLの未読数というものほど不必要なものはない。
最近になって「おすすめユーザー」("Who to follow")という機能がTwitterについた。どのようなロジックか詳細は良くわからないが、「この人をフォローしたら?」というのを勧めてくれる機能だ。
これを見ると、Twitterはフォロー数を増やすことを前提にシステムが作られており、そこに参加する多くのTwitterユーザーはフォローし、フォローされることというループに巻き込まれることを積極的に楽しんでいるようだ*2。
私も自分ではもはや管理しきれないほどの人たちをフォローさせてもらっている。ただ、以前にTwitterでも書いたことがあるのだが、この先には何が待っているのだろうかと疑問に思うことがある。Twitterのユーザー数が増加し、普通の人でさえ1000や2000などのオーダーでフォローしあうようになった世界。そこで我々は何を見ることになるのだろうか。
Twitterのソーシャルグラフとしての力は強力だ。米国はもとより日本やほかの国でもTwitter上での活動が政治的なパワーさえ持ち始めている。だが、このように気軽な、もしくはカジュアルな形でのフォローが進むと、それはもはや一般的な意味でのソーシャルグラフではなくなってくる。極めて希薄な関係性の上に構築されるグラフ。
それは新たなメディアとしての可能性は大きいが、古くはミルグラムの実験にあるようないわゆる人脈としてのグラフと考えることは難しくなってくる。
「フォローしてください」というお願いに垣間見るTwitterネットワーク拡大を支えるもの。
この先の世界に興味が尽きない。