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仙台での一夜から学ぶこと

一昨日のブログが想定外 ;-) の反響*1を呼んでいてびっくりしているが、いくつか補足をしておこう。

いろいろな人から指摘されたが、準備不足であり油断していたというのはそのとおり。釈明できない。

追記もしたのだが、行く前に持っていくべきものは関係者とも話しあってリストを作り準備した。だが、心の中で「念のために」という隙があったのは事実だ。特に日中に仙台中心地を見て回り、言われなければついこの間巨大な地震があったとは思わないほど復旧している状況に安心してしまったのかもしれない。もちろん復旧したのがわずか数日前であったり地域によってはまだ復旧していないところがあることは知っていた。だが、心のどこかに安心してしまったところがあったのだろう。

必要なものは常に身につけておくこと。これが今回から学んだことだ。

食事をしたところはホテルから5分とかからないところだ。なので、日中持ち歩いていたカバンを持って行かなかった。言い訳はできない。油断していた。ホテルの部屋に戻れないことを考えておくべきだったのだ。これはなにも現在進行中の被災地に行く場合ばかりではないのかもしれない。東京でも地震はいつくるとも限らない。オフィスから5分とかからないところにランチを食べに行くこともあろう。そのときいざというときに必要となるものを持っていくだろうか。財布や携帯電話は持っていくだろう。携帯電話などは身につけていないと何か不安を感じるだろう*2。それと同じような感覚で常に持っていなければいけないのだろう。当然持ち歩けるものは限られる。携帯性の高いものを絞り込んでおく必要がある。

また、前回のブログでは情報が入らないことに対する不安を伝えた。

ブログでは書ききれなかったのだが、実際には生命の危機があるわけでないことはすぐにわかったし、必要最低限の情報はすぐに得られた。周りの人間とは話さなかったかと書かれていたが、もちろん話した。女川原発の話もしばらくしてどこにあるかなどわかった。

だけれども、今回は「想定外」のことばかり起こっている。いくら情報があってもそこはかとない不安は払拭しきれない。誰かに大丈夫だよと言って欲しい時ってあるだろう。つまり、情報が入らないというよりも、つながりを求めていたのかもしれない。日本語で情報はとれる。周りの人に聞けば良い。周りの人が話していることも聞こえてくる。しばらくしたらラジオも聞こえた。だが、どんなに理屈ではわかっていても、不安な気持ちというのは理屈で消えるものではない。なので、また情報に救いを求める。もしかしたら、災害時の不安解消法というのが本質的な命題なのかもしれない。

あと、TwitterやITの限界については私の状況が少し特殊だったのかもしれない。

Twitterは自分のTL、すなわちソーシャルグラフによって得られる情報は左右される。私のソーシャルグラフは東京とシリコンバレーにかなり偏っている。もしくはWeb技術系。仙台や宮城の情報を得られるソーシャルグラフ要素はその夜の段階ではほとんど入っていなかったのだ。その後、仙台で知り合った人たちをフォローしだしたので今ならば多少状況は違うかもしれない。

また、自分の生命の危機はないことがわかったこともあり、こちらからは積極的に聞くことはしなかった。こちらから聞けばまた状況は変わったろう。繰り返すが、安否確認には役立った。この間の余震の時には電話は使えたので、電話でも事足りたが、もし電話が使えなかったら、Twitterやほかソーシャルネットワーク、メールのみが唯一の手段になっていたと思う。

自分が経験した話ではないが、本震の時には被災地にいる人よりも東京などほか地域の人のほうが情報を持っていたこともあったようだ。「今、どういう状況ですか?」「火災が起きているのはどこですか?」「ここにいても安心ですか?」。テレビやラジオを見れなかった人からの質問に東京から答えている人がいたと聞いている。今回の余震ではそこまで被害がひどくなかったためか、そのようなことは少なくとも私の周りではなかった。

地震直後のITの利用については当たり前だけれども、使える用途と使えない用途があるということだったと思う。ITに依存しすぎではとも書かれていたが、そうかもしれない。もちろんITだけを頼っていたわけでもないし、実際にほかの手段も用いた。だが、普段ITを、ネットを中心にして情報を得て、コミュニケーションをとっているので、災害時にもITに対する期待が知らず知らずのうちに高くなっていたのだろう。自分の中でIT/ネットへの期待を適正に保つべきであるが、一方、IT/ネットを良くする立場の自分としては、これを学びにして、どんなときにも役立つインフラと出来るのかは諦めずに考えていきたい。もちろん、ITだけを考えるのではなく。

今回の私の体験は叩きどころ満載で決して見本になるものではない。だからこそ、この経験を私だけでなくほかの人にも活かして欲しいと思う。恥ずかしいことも包み隠さず話しているので。

そのほかいくつか追記すると:

  • 食事のときに一緒にいた周りの人からは十分なサポートをもらった。私から帰ってもらったので、彼らに問題はまったくない。
  • 食事をしたところで領収書をもらったのは反省している。言った後にすぐに気づいて「あ、やっぱりいいです」と言ったのだが、大丈夫ですと用意してもらってしまった。お願いすべきではなかった。落ち着いて考えればわかることでも、やはり大きな余震の後、冷静ではなかったんだろう。常識で考えればわかる当たり前のことで普段の自分では出来ていることも出来なくなる。
  • スマートフォンに関しては、バッテリーの持ちが悪いという状況が改善されない限り、災害時には限界があるのではないかと今でも思う。逆に言うと、スマートフォンベンダーにはもっとバッテリー消費とチャージ時間についてもっと改善して欲しい。バッテリーのもちさえ良ければこれを使うことによるメリットは計り知れない。
  • 今回は結果的に私が滞在していたところでは携帯は最後まで使えた。だが、場所によっては基地局がダウンし、翌日まで復旧しなかったところもあるようだ。必要な情報はアナログで準備しておくかスマートフォンを使うならばオフラインでアクセス出来るようにしておいたほうが良い。震災以降、オフラインアプリの重要性が高まっているが、そのとおりだと思う。

*1:[http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/takoratta/20110408/1302273707:title=はてぶコメント]とか

*2:私はそれさえ忘れてしまい平気でいることも多いのだけれど