安全と安心 その2

安全と安心」で書いたように、安全は科学によって客観的に証明され、安心は人によって主観的に決められる。

福島県の野菜は放射能に汚染されているから食べるべきでないと言う人が少なからずいる。だが、その人たちを含む多くの人は「県」という単位で語ることの無意味さを知っている。本来ならば福島県という大雑把な単位ではなく、基準値を超えたところならば、福島だろうがどこだろうが出荷制限をするべきであるし、基準値以下であるならば福島産だろうがどこだろうが流通に制限をかける必要はない。

そんなことは皆分かっているのに出来ていない。何故か。

それはこの作業が科学的に行われていないからだ。基準値が何故そう決められているかを科学的に説明出来ていない。後出しジャンケンのように、基準値を変えたりしてはいけない。基準値に問題が無かったとしても、データのサンプリングが十分に行われていない。サンプリング数は足りないし、頻度やそのサンプリング方法(計測方法)も不十分だ*1

これらの状況により、安全と言われても安心出来ないという袋小路に追い詰められる。人は不安になると不安要素を忌避するようになる。安全サイドに倒れるので、いきおい「福島」と付いているものを避けるようになる。結果、全然関係ないのに、福島ナンバーの中古車が売れなくなる。

気持ちはわからなくない。だが、考えて欲しい。今、同じことが日本に対して行われているのだ。

海外から見ると、日本全体が大変。
西日本から見ると、東日本全体が大変。
関東から見ると、東北全体が大変。
東北の内陸部から見ると、沿岸部が大変。

Fumi's Travelblog: 見方によって

福島県民以外が漠然とした不安によって福島を敬遠することが、今、世界では日本に対して行われている。日本産というだけで世界市場では敬遠されるようになる。世界各地で日本食レストランが潰れ始めている。

我々、日本人は言う。問題のある地域は一部ですよ。問題のある食材は検査して輸出しないようにしています。

同じことは福島産の食材に対しても言えるだろう。福島の人はきっと言いたいはずだ。問題のある食材は検査して流通させないようにしていますと。日本国内は世界の縮図。世界に対して言うことは日本国内でも同じルールで動くべきだ。

人によっては、しばらくは福島は農業や水産業や畜産業などは行わなければ良いと言う。生産してもそれが流通に回せないことは明らかなのだから、その分は東電や政府により補填してもらい、ほかのことをすれば良いと言う。同じことを世界から日本が言われたら?

科学的に対処しよう。そのためにも正しい基準で正しい検査をする必要がある。政府/東電に期待したいし、民間で出来ることがあれば考えなければいけない。SafeCastなどはその一例だろう。

また、ガイガーカウンターが欲しいとの声も多数聞かれました。現在、福島県によって1,600個のガイガーカウンターが県内の小中学校に配られつつあるそうです。そして、草の根運動としてもガイガーカウンターを現地に送ろうという活動があります。その一つがSafeCast。

Fumi's Travelblog: Hack For FukushimaとSafeCastとJoiのMIT Media Lab 所長就任と

科学的に安全か否かを確認出来たとしても、人の心で主観的に決められる安心を得るためにはそれだけでは足りないだろう。そこで必要となるのが、「顔が見える」コミュニケーションだ。

安心は信頼関係の上で成立する。今、国民が不安なのは、国との間の信頼関係が失われているからだ。考えてみると、ここ最近信頼関係があったことが無かったようにも思うが、平時にはそれでも十分だったのだ。国など信頼しなくても経済が信頼足るものであった。

安心を得るためには/得てもらうためには「顔が見える」関係を作る必要がある。

 福島第1原発の事故で周辺県に広がっている農産物の風評被害に対し、インターネット交流サイトのフェイスブックが“防波堤”としての力を発揮している。農産物の安全性についての正確な情報発信や、復興に向けたロゴマークの公募などに活用が広がっており、実名主義の信頼性とネットの伝(でん)播(ぱ)力を併せ持つフェイスブックの特性が発揮されているようだ。

【放射能漏れ】フェイスブックで風評被害防げ 茨城などで動き広がる - MSN産経ニュース

未曾有の災害故、何が正解かはない。安心かどうかは人の心が決めるもの。だからこそ、冷静に、時には引いて(世界の中の日本という視野で考えてみて)、時には対話を通じて、判断するようにしたい。

* 補足:ここでは食の安全のことだけを言いたいわけではない。科学的に証明出来ていないものは安全サイドに倒すべきだし、科学的な検査の結果、やはり多くのものが流通させられないという判断になるかもしれない。だが、それでも工業品などにまで制限がかかるのはおかしい。ラベルとしての大きい範囲での産地というものが意味ないことは理解すべきじゃなかろうか。

*1:もしくは説明責任を果たせていない