Twitterの★が♥に
Twitterの★が♥に変わった。「お気に入り」という機能が「いいね」に変更されたわけだ。
すでに巷ではいろいろと騒がれているので、何か書くには出遅れ感があるが、少し思うところを書いておきたい。
私は以前、以下のようなブログ記事を書いていた。
これは「お気に入り」という曖昧な名前と機能について考察した記事だった。当時は、ツイートを(ブックマーク的に)記録するという用途のために「お気に入り」捉えており、永続的か一時的かという記録期間で使い分けがまだ定まっていないと書いていた。
それからしばらくして、今回、公式にこの機能は「いいね」であると決められ、名称もアイコンも変更されたわけだ。私の考察とは異なり、単なる感情を表す機能と再定義された。正直、「お気に入り」という名前はブラウザのそれを想起させ、ブックマークとして利用していた人も多かったのではないかと思う。
提供側の意図はわかるが、この変更は結構悩ましい。
一度、曖昧な形で提供し、利用者にその意味合いや使い方を委ねていたものを、今になって用途を明確にしても、それは支持されるだろうか。関連サービスなどもあったろう。
支持されるも何も変更されたので、感情を表現する機能として使われていくようになるのだろうが、一度提供した機能を再定義することの難しさと是非を考えさせられる。
さよなら、インタフェース
インタフェース*1を考える前に、本当にそれが必要なのかを考えるべきだということを、Golden Krishnaのブログを紹介する形で3年ほど前に書いた。
その後も勉強会のライトニングトーク(LT)でこの考えを面白おかしく紹介させて頂いたりした。
そのオリジナルのGolden Krishnaの考えが本になった。「さよなら、インタフェース -脱「画面」の思考法」というタイトルだ。
内容は以前のブログ記事で紹介したものとほぼ同じだが、さらに多くの事例が示される。例えば、私は歩きスマホが大嫌いなのだが、 「第9章 スマホはケツポケットにしまっとけ」には激しく同意した。
また、原書の英語は少し癖があるのだが、日本語訳が秀逸だ。原語のテイストを活かしながらも、大変読みやすい日本語になっている。最初は少しびっくりするかもしれないが、この文章も著者なりのインタフェースなのだろう。是非味わって欲しい。
参考になると思うので、目次を下に示す。日本語版への序文は僭越ながら、私が書かせて頂いた。
目次
日本語版への序文 及川卓也
推薦のことば エリス・ハンバーガー
●本書の概要
第1章 はじめに
第2章「まず画面」の思考法
●実情と問題
第3章 インタフェースをくっつけろ!
第4章 UX ≠ UI
第5章 中毒というUX
第6章 注意散漫
第7章 バックライトの光で不眠に?!
第8章 スクリーンレス・オフィス
●NoUIを実現するためのルール その1
(画面なんかに頼らず、解決したい問題につきものの「いつもの手順」をしっかり理解しよう)
第9章 スマホはケツポケットにしまっとけ
第10章 怠け者の長方形
●NoUIを実現するためのルール その2
(科学技術を活用し、ぼくらをこき使うシステムじゃなく、ぼくらに使いこなされるシステムを創り出そう)
第11章 コンピュータはまるで駄々っ子
第12章「ユーザーインプット」じゃなく「マシーンインプット」を
第13章 アナログ仕事とデジタル仕事
●NoUIを実現するためのルール その3
(ひとりひとりに合わせる)
第14章 ひとりひとりに焦点を当てた情報処理
第15章 事前対処型コンピューティング
●今後の課題
第16章 変化
第17章 プライバシーの問題
第18章 自動化
第19章 不具合
第20章 例外
●むすび
第21章 こんな日が来るといい
後注
索引
訳者あとがき
私と仕事どっちが大事? と聞かれたら
昨夜、久しぶりに id:naoya さんと会食をした。
途中、同席した女性の悩み相談のようになったので、仕事のときのように悩みを分析し、私なりの解決策を提案したりしていたのだが、それを聞いていた直也さんからダメ出しされた。曰く、「女性は解決策を求めているのではない。ただ聞いて欲しいだけだ」。
いや、それくらいは私も知っている。
「でも今回は…」と続ける私に直也さんが次のように問いかけた。
「彼女が、最近仕事忙しいみたいなのはわかるけど、私と仕事どっちが大事なの?って聞いてきたらどう答えますか?」
「んー、どっちも大事って言うかな。いや、それは比較対象するものじゃない」
「違いますよ。
そんなことお前に考えさせて悪かった
って謝るんですよ」
なるほど。
だそうです、皆さん。
カニンガムの法則の続き
昨日の投稿の続きというか補足。
-
Cunningham's Lawによると、Steven McGeadyがこの法則の作者だと書いてある*1。間違った答えを投稿して修正してもらうというのを実践したつもりだったわけではない。
- Wikipediaのようなサイトではなく、質問投稿サイトでも同じかという質問があったが、ただ質問するよりも自分が正しいと思い試してみたことを書いたほうが良いアドバイスは貰える。これも一種のカニンガムの法則の実践だろう。
- この法則は2chで長いこと立証されているものだというコメントもあった。また、昨日の投稿へのコメントでも「タイトルが釣り記事のテンプレに沿っていればさらに効率は上がりそうですね。と、はてブ村人な自分の私見。」と書かれていた。TwitterでもQDB: Quote #152037を紹介されたが、釣り=挑発することで注目を集めるという手法と組み合わせることを想起させる法則ではあるようだ。もちろん、そうした場合はネガティブに捉えられることも多い。昨日の投稿へのもう1つのコメント「太古の昔から、『インターネットが憎悪ベースのコミュニケーションになる原因』と指摘されているやつですね。詳しい回答者に苦痛を与えることで反応を強制し、うんざりさせて消尽するメソッドでもある。」というのはこのような挑発手法の負の面を言い得ている。
- マクドナルド理論を思い出すという意見もFacebookで貰った。
私としては、期せずして、自分の知らなかった情報や違った捉え方を知ることが出来て、これぞカニンガムの法則というのを実感したが、知人から本質に迫る質問を受けた。
(このカニンガムの法則の意図するところは)「誤った内容」を「誤っていると知りつつ」インターネット上に投稿するというものなのか、それとも「自分としてはベストの答え」が修正されることを期待するものなのか。
私なりにカニンガムの法則を解釈すると、
自分としては正しいと思っている情報を、本当に正しいか確認をとるために質問するよりも、それを正しい情報として投稿することのほうが本当に正しい回答を得られる。
だと思う。
Web企業は実験を良く行う。A/Bテストなどが代表的であるが、多くの実験を施し、その結果に応じて調整をし、ユーザーの望む形に製品を改良する。これは仮説に基づき実験を行い、それを繰り返していくことで真理に近づくという科学の本質とも重なる部分が多い。正しいことなど誰もわからないことも多い昨今、カニンガムの法則のアプローチはこのネット社会における新たな仮説/実証であるのかもしれない。ちょっとこれは拡大解釈かつ脱線しすぎであるが。
*1:"According to Steven McGeady,the law's author"Cunningham's Lawより
インターネットで正しい回答を得るための最善の方法は質問することではない。間違った回答を投稿することだ
しばらく前になるが、ある「むっちり女子のイラスト」がTwitter上で話題になった。154cmで44kgという設定で描かれた女の子のイラストが、その設定にしては太り過ぎているということで、特に女性から異論が噴出した。
炎上かと思いきや、実際にその体型の女性が自撮り写真をメンションするなどして、逆に現実的なデータが取得できるという結果になった。
元の投稿者のイラストが魅力的だったことや異論を聴く姿勢が好感を呼んだのだとも思うが、一連のやりとりを見て、次の言葉を思い出した。
The best way to get the right answer on the Internet is not to ask a question, it's to post the wrong answer.
インターネットで正しい回答を得るための最善の方法は質問することではない。間違った回答を投稿することだ。
これはWikiの父であるウォード・カニンガムの言葉でカニンガムの法則(Cunningham's Law)とも呼ばれる。WikiをベースにしたWikipediaがこの精神を採用していることに疑問は無いだろう。
考えすぎて回答を得られるまでにやたら時間がかかるくらいなら、もちろんその内容やレベルにもよるが、間違った回答をぶつけてみるほうが確かに良い。どのような意見も受け入れられる柔軟であることが前提にはなるが。