ハイパーメディア・ギャラクシー コンピューターの次にくるもの
「及川君、先生はこれを計算機って呼ぶんだけど、これは計算機じゃないんだ」
2年上の先輩がそうやって僕に指さしたのはMacintosh Plusだった。2年前に発売されたこのコンピューターは研究室の中で唯一のMacintoshで、NEC PC98シリーズに囲まれながらもそのデザインから一際目立っていた。
そのころの僕にとってコンピューターは計算機そのものだった。大学の9階にあるコンピューター室の専用端末からIBMの大型コンピューターを使い、有限要素法を用いた数値計算を行わせていた。資源探査のために地下構造をモデリングするというのが研究テーマだった。パンチカードはさすがに使わなくなっていたが、プログラムを走らせても結果が出るのは翌日。そのうち自分の大学のIBMのコンピューターでは処理能力が足りなくなったので、東大に設置されていた日立の大型コンピューターに2,400bpsで接続し、そこにジョブを投げていた。
そんな僕にとってコンピューターは計算機。なのに、先輩は研究室にあるオモチャのようなマシンを計算機じゃないという。
その後就職した会社で僕を待っていたのはオフィス統合システムの販売という仕事だった。専用端末の代わりにパーソナルコンピューターを使う多くの顧客のため、仕事場にはPC98シリーズを始め、IBMのPS/55や海外製のIBM PS/2に至るまで、メジャーなパーソナルコンピューターはほぼ全て揃っていた。
ここで僕はMacintoshと再会し、そして直ぐに夢中になった。
直感的なユーザーインターフェース、 標準装備されているネットワーク機能。何もかも魅力的だった。中でも、Hyper Cardには興奮した。テキストやグラフィック、音声などをオブジェクトとして配置したカード同士を結びつけることでスタックと呼ばれるアプリケーションを容易に開発出来る。ハイパーテキストが始めて一般に普及する形で実用化されたものだった。
Hyper Cardにはスクリプト言語も用意されていた。Hyper Talkという。なんとも洒落た名前ではないか。当時、書店には多くのHyper Cardの解説本があったが、その中でも私が特に気に入っていたのが「Macintosh HyperTalk―あきらめないで、天使がささやくハイパートーク」。コンピューターがカルチャーと結びつき始めた。そんな時代だった。
マルチメディアという言葉が一般紙をも飾り始めたそのころ、幕張で「マルチメディア国際会議」というイベントが行われるというニュースを知る。Hyper Cardの作者であるビル・アトキンソンがやってくるという。会社に頼み込み参加したそのイベントの基調講演に現れた彼はスライドも一切なしに、話だけで自分のスピーチを終えた。記憶が正しければ、カバンを小学生のようにたすきがけしていたと思う。お金の匂いがプンプンするイベントの中でも、彼は本当に技術者だった。同じイベントにはハイパーテキストプロジェクトであるXanaduを提唱していたテッド・ネルソンも参加していた。あの難解なXanaduがいつか遠くない将来には実現されるのだろうと夢を見ていた。僕も、彼も、そして多くの参加者も。
「ハイパーメディア・ギャラクシー―コンピューターの次にくるもの」はそんな時代に書かれた。
ハイパーメディアは本書のサブタイトルにあるように「コンピューターの次にくるもの」ではあるが、これはパーソナルコンピューターや周辺機器、ソフトウェアだけのことではない。『メディア』として、その上で伝達されるメッセージやユーザーも含めた社会やカルチャーのことである。
アラン・ケイ、スタンリー・キューブリック、マーシャル・マクルーハン、ニコラス・ネグロポンテ、シーモア・パパート、マービン・ミンスキー。本書に登場する多くの人物の語る技術、そしてメディア。
”As we may think*1” - われわれが考えるように。メディアはそのように変容しただろうか。
「机に学べ」、「紙に学べ」。本書に書かれたメッセージは今も色褪せない。Webもクラウドもソーシャルもまだほとんど言われていないときにも関わらず。
コンピューターは計算機だ。ただ、その計算は科学技術計算のためだけではなく、情報をつなぎ、感情を運ぶためにも使われる。
「入力」と言わずに、「入魂」と言う時代が来るのではないか。本書の最後に書かれる想い。時代を越えても普遍な想い。それを教えてくれる一冊だ。
以上は2年ほど前に翔泳社のデベロッパーサミットの(デブサミ)の記念書籍である「100人のプロが選んだソフトウェア開発の名著 君のために選んだ1冊」向けに書いたものだ。
何か書籍を推薦して欲しいと言われたが、すでに過去の同様の企画でいわゆるコンピューター科学の教本のようなものは推薦していたこともあり、私が選んだのがこの本だった。すでに絶版となっており、中古でないと入手できない本だったが、少しでも興味を持つ人がいればと思い、推薦原稿を書いた。
実は、この本は3部作の1冊だ。
「ハイパーメディア・ギャラクシー―コンピューターの次にくるもの」、「コンピューターの終焉―ハイパーメディア・ギャラクシー2」、「イデオロギーとしてのメディア (ハイパーメディア・ギャラクシー3)」の3冊と「マルチメディアマインド―デジタル革命がもたらすもの」を加えた4冊は今でも私の本棚の常に手の届くところに置いてある。
正月休みも後2日。パラパラとページをめくってみようか。
浜野保樹先生の訃報に接して。
*1:情報検索システムMemexの提唱者として知られるVannevar Bushの論文