マイクロソフトはWindowsという製品名を捨てたほうが良いのではないか

Windows 8やWindows PhoneのUIを見て、マイクロソフトはいつまでWindowsという製品名を使い続けるのだろうと思った。

利用者を多く抱える製品の製品名を捨てる必要など無いと思われるかもしれないが、人々がWindowsという名前に抱くイメージを考えると、必ずしもWindowsという製品を踏襲することが良いとばかりは思えない。

Windowsのイメージは恐らく「保守的」であり「確実」や「堅牢」というものであろう。一時のオモチャのようなイメージはなくなり、不安定や脆弱というイメージも無くなった。

このイメージは人々に安心感を与える。エンタープライズなどでは特に重要だ。

しかし、ネット上の新規サービスやスマートフォンデジタルガジェットなどでは確実で堅牢であることよりも、革新的であることが期待される。新しいものを所有したときの喜びがあること、それこそが人々の購買意欲をそそる。

「新しいWindows」とか「スマートフォン用のWindows」などと、Windows 8やWindows Phoneは紹介されることもあるだろう。Windowsという誰もが知っている名前を出すことで、説明は楽になるが、一方、既存のイメージを引きずられる懸念が強くある。ビジネスシーンでの成功のため、Windowsという製品名から業務用システムを連想することも多い。「保守的」や「堅牢」というイメージとともに、どうにもワクワク感に乏しい。

実際、Windows 8やWindows PhoneではWindowsとの互換性や相互運用性よりも、新しいユーザー体験を追求するための機能やUIのほうが売りになるであろうから、Windowsファミリーであることを捨ててしまってはどうだろうか。ネットサービスであるWindows Liveが必ずしも名前で得をしていると思えないのだから、ネットとの連携がより強くなるWindows 8やWindows Phoneなどでは新しいブランド名を構築するほうが良いのかもしれない。

名前の話から入ったが、名前だけでなく、Windows 8などは既存Windowsとの互換性も、もっと対象を絞ったり、標準機能としては限定した機能だけにするという選択肢もある。もう5年前になるが、「互換性と拡張性は両立するか」というエントリーを書いたことがあり、そこでは互換性が足かせとなりイノベーションを起こせなくなる危険性を述べた。まさに、これが成功した製品であるWindowsで起きてはいないか。既存顧客を大事にするあまり、明日の顧客を失う。このような例は過去にいくつもある。

たかが名前、されど名前。名は体を表す。形から入っても良い。


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